note9 撞着語法

science(科)学
argue主張する―argument論
mathematics数学
theology神学
scientia est potentia(knowledge is power)知は力なり

 

Objectization客体化—Nominalization名詞化
Nominalization is an act that possesses a entity.
名詞化は或る存在を有する行為である。
Think of a viewpoint.
視点(direction 方向、position位置)から考えるとよい。
(ⅰ)(実在の要求から主体に対応して)其の主体に応じるため(—objectization客体化)
Objectization of an act of a(certan)subject by an subject.
或る主体による或る(特定な)主体の行為の客体化。
(ⅱ)recursive繰り返し・入れ子
Objectization of an act of the identified subject by a subject.
或る主体による特定の主体(A)の行為の客体化
(ⅲ)(—naming命名) 
Objectization of an action of a(certan)subject by the identified subject.
特定の主体(A)による或る(特定な)主体の行為の客体化
(ⅳ)reflection再帰・鏡映
Objectization of an action of the identified subject by the identified subject.
特定の主体(A)による特定の主体(A)の行為の客体化


Substantia実体
The Father父/The Holy Spirit聖霊/The Son子
spirit精神 reality実在性 1/1 —定数的定数、質な質、質の質
intution直観 commutativety可換性  1/0 —定数的変数、質な量、質の量
consciousness意識 contingency偶有性 0/0  —変数的変数、量な量、量の量
subject主体 identity特定性—uniqueness独自性 0/1 —変数的定数、量な質、量の質

 

Subjunctive mood仮定法・接続法
(AがBだったら、という)接続法での表現は、 
Aとわたしたちとのweak order弱順序な関係を可能にする配列を前提にするものとする。
特定の主体(A)が、仮定法を用いる場合、
(ⅰ)(recursive繰り返し・入れ子
The identified subject(A)treat hisself a certain subject.
The identified subject(A)treat himself a certain subject.
特定の主体(A)が、自らを或る(特定な)主体(A)と扱う場合 
(ⅱ)(reflectiion再帰・鏡映)
The identified subject(A)treat hisself a the identified subject
The identified subject(A)treat himself a the identified subject
特定の主体(A)が、自らを特定の主体と扱う場合
(ⅲ)(identy単位(type型))
The identified subject(A)treat hisself ’subject’.
The identified subject(A)treat himself 'subject'.
特定の主体(A)が、自らを「主体」と扱う場合、がある。

Expression表現
数学は、数学が真だと証明をすべきではない。数学者の数にも依るべきではない。
数学または神学は、実在性、可換性、偶有性、固有性を有する、連続した一つの拡張である。
或る一つの学問は、それらの定めた公理を援用する。

 

 

ヨハネによる福音書
(8:12)イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光を持つであろう」。
(8:13)すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「あなたは自分のことをあかししている。あなたのあかしは真実ではない」。
(8:14)イエスは彼らに答えて言われた、「たとい、わたしが自分のことをあかししても、わたしのあかしは真実である。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行くのかを知らない。
(8:15)あなたがたは肉によって人をさばくが、わたしはだれもさばかない。
(8:16)しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい。なぜなら、わたしは一人ではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒だからである。
(8:17)あなたがたの律法には、二人による証言は真実だと、書いてある。
(8:18)わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかししてくださるのである」。
(8:19)すると、彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのか」。イエスは答えられた、
(8:20)あなたがたは、わたしをもわたしの父をも、知っていない。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたであろう」。
・・・・・・
(8:23)イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出たものだが、わたしは上からきたものである。あなたがたはこの世のものであるが、わたしはこの世のものではない。

 

 

 

(12)一つのことしか考えないスカラムッシュ。 —— 何もかも言ったあとで、まだ十五分間もしゃべるほど、言いたくて仕方がない博士。
(43)ある著者たちは、自分の著作について話す時、「私の本、私の注解、私の物語、等々」と言う。そう言う彼らは、一戸を構え、いつも「拙宅では」を口にする町人臭がぷんぷんしている。彼らはむしろ、「われわれの本、われわれの注解、われわれの物語」というほうがよかろう。というのは、普通の場合、そこには彼ら自身のものよりも他人のもののほうが、よけいにはいっているからである。
(61)順序。 私はこの論述を次のような順序で始めることも、あるいはできたであろう。あらゆる境遇のむなしさをを示すために、普通の生活のむなしさ、ついで懐疑論およびストア派の哲学的生活のむなしさを示すのである。しかし、この順序は守られないであろう。わたしは順序というものがどういうものであるか、そしてそれを理解している人がいかに少ないかということを、いささか心得ている。人間的な学問は一つとしてそれを守ることができない。聖トマスはそれを守らなかった。数学はそれを守るが、その深みにおいて無益である。
(115)多様性。 神学は一つの学問である。しかし同時にいくつの学問であろう。
(148)われわれは、全地から、そして我々がいなくってから後に来るであろう人たちからさえ知られたいと思うほど思い上がった者であり、またわれわれをとりまく五、六人からの尊敬で喜ばせられ、満足させられるほどむなしいものである。
(260)彼らは多数の中に隠れ、自分らの助けとして数を求める。 喧噪。 権威。 あることを人から聞いたということが、君の信じる基準になってよいどころか、それをいまだかつて聞いたことがないような状態に自分を置いたうえでなければ、何も信じてはいけない。
(775)omnesをいつも「みな」と解する異端があり、またときによって「みな」と解しない異端がある。

『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一・由木康訳 中央公論社 1978年

 

 

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subject主体
object客体
query問い合わせ

 

subject主体は、(論の)公準となる変数的定数である。
其の主体は、其の論の前提となる変数的定数である。
特定の主体が、或る(特定な)主体となることが可能なことは(論の)公準である。
object客体は、実在の要求から、主体に対応して、公準として生成される変数的定数である。
客体は、主体に応じて前提として生じる変数的定数である。
其の客体は、其の主体に応じて、前提として生じる変数的定数である。

 

**memo
情報は、文献の引用や翻訳などとは関わりがない。文献の引用の様式、文献と記憶の差異は慣習による。Renaissanceルネサンスの文芸復興、Vulgataヴルガータ訳聖書の批判から考えるとよい。
「hypothesis仮説」「abductionアブダクション」という表現を考えるとよい。

The city of God神の国
(ⅰ)創造から、原罪と全的堕落
(ⅱ)行いから、道徳的模範としてのイエス・キリストと個別の現存
(ⅲ)赦しから、教会(the identified and specific community特定の具体な共同体)と、
Vicar of Jesuu Chiristキリストの代理人
(ⅳ)終わりから、神の国の選びと構成

 

 

ヨハネによる福音書
(9:7)そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。
(9:8)わたしより前に来た人はみな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
(9:9)わたしは門である。わたしをとおってはいるもの救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
(9:10)盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
・・・・・
(9:14)わたしはよい羊飼であって、わたしの羊であり、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
(9:15)それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
(9:16)わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一人の羊飼となるであろう。
(9:17)父は、わたし自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。

 

 

 

(222)なぜ処女には子を生めないのか。雌鶏は雄鶏なしでも卵をこしらえるではないか。何がその卵を外から他の卵と区別するのだろう。また雌鶏が雄鶏と同じように種子をつくることができないと、誰がわれわれに言ったのだろう。
(27)雑、言語。ことばに無理じいして対照法(注釈 antitheses)をつくる人は、均整のためにめくら窓をつくる人と同じことをやっている。彼らの方針は、正しく話すことではなく、修辞学の型に正しくのっとることなのである。

『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一・由木康訳 中央公論社 1978年

 

 

 

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