紹介(3)『鯰絵―民俗的想像力の世界』 著:コルネリウス・アウエハント e1

 世俗的な表象を示している大津絵に関して言えば、元来「諺、よく知られた格言、日々の戒め」を絵で説くことが意図されており、しかもかなり諷刺的色彩が濃かった。しかしながら、十八世紀になると、教訓的で道徳的な傾向をもった絵の方が好まれるようになり、このことはその時期の大津絵の詞書にも強く表れてきている。 

……たとえば、寓話、諷刺、教訓あるいは道徳的な教えといったことでは、様々な格好の鬼や、雷神、猿、馬の図柄が、また、福神、さらには鬼を退治する鐘頄や天神様、弁慶、怪童金時などのような伝説上の人物が、なぜ大津絵にきわめて頻繁に登場するのかということを説明できないのである。『鯰絵―民俗的想像力の世界』 コルネリウス・アウエハント 小松和彦中沢新一飯島吉晴・古家信平訳 せりか書房 1986年 73頁

 

 黒い顔をした(多くの絵は弁慶の顔を黒く塗っている)醜い(弁慶の顔には6歳の時かかった疱瘡の跡が醜く残っていた)若者である弁慶は、記述の他の力持ちの怪童たちと多かれ少なかれ同じコースをたどることになる。鍛冶屋をやっていた祖父の家では、鉄床を地中に叩き込んでその怪力を示し、薪をとりに行けば松を根こそぎにしてもって帰った。

……その後、山伏のための弁慶の修業は、比叡山の荒僧たちの手によって続けられた。ここで弁慶は、彼の世話をしてくれる古参の僧で常陸海尊という、初めて手ごたえのあるライバルに出会うのである。そののち二人は義経に感じ入ってその指揮下に下り、主従最期の時までこの若い頭領に仕えることになるが、常陸海尊は弁慶の修業中、彼の申し分のない敵対者となった。その時代の常陸海尊は弁慶の鬼才のいうなれば悪の側面をあらわしていたかのようであった。『鯰絵―民俗的想像力の世界』 コルネリウス・アウエハント 小松和彦中沢新一飯島吉晴・古家信平訳 せりか書房 1986年 258頁

 

 わが臨時自然科学者は、最後に、自然に関する彼の『唯一の実証的な学問』を次のように概括する。
「自然の核があるのは、
人の心の内ではないか?
自然の核は人の心のうちにある。人の心の内に自然の核がある。自然はその核を人の心のうちにもつ。」
さらにわれわれはグリシン氏のお許しを願ってこうつけくわえる。人の心うちに自然の核がある。自然の核が人の心のうちにある。人の心のうちに自然はその核を持つ。(カール・マルクス

 

 鹿島神宮は、茨城県南東部海沿いの、鹿島市宮中に位置し、タケミカヅチを祭神とする。タケミカヅチは、武神、雷神、火の神などを含み多様な性格が与えられ、

是を以ちて此の二はしらの神、
出雲国の伊那佐の小浜に降り至りて、
十掬剣を抜きて、
逆に波の穂に刺し立て、
その剣の前に跌み座して、

 という記述で名をはせている。『常陸国風土記』は、奈良時代初期の713年に編纂された。異民族のそばの拠点にせよ、入植者の開拓地への記述を偲ばせる表現がある。

 

 世界の三層構造は古くから漢字に浸みこんでいる。東洋人らしい、孤立した神秘の三位一体を、疎遠な神道天地開闢に、道教元始天尊などに見つけるのは不当ではない。経済学者が構造を商売人に売るように、江戸時代の庶民は、じゃんけんのような三すくみの構造を好んでいた。嬰児殺しは、都市と伴に、農村で頻繁に行われた。他界への憧れは水神と結びつく。えびすへの体系的な研究は少ない。山車についての研究も同様である。与えられた性格の複雑さにもよるのだろう。えびすを祀る神社は山岳、海辺が主である。祝祭の様相を帯びる各地のえびす講は、旧暦の水無月と神無月に集中する。民間伝承によると、日本各地から神々が集まる出雲では、翌年の予定や縁結びが会議に掛かる。また「醸成月」という字を当てるように、酒造りの季節である。

 

マタイによる福音書

(5:14)あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない

(5:15)また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。

 

 どのようにして地震が起きるかという疑問については、鹿島大明神の不注意とか無力、守護機能の不十分さによってではなく、神が留守の時に鯰が暴れるからとされるようである。日本では、10月には神々が出雲大社にお集まりになると広く信じられている。神々がこの期間「お留守」となり、したがって、神々がいない月ということから「神無月」と呼ばれている。
 そうした意味を成す版画2237(2238、2290、2300も参照)の詞書には次のように書かれている。

  神のお留守をつけ込んで、のらくら鯰がふざけだし、後の始末を改めて、世直し、世直し、建て直し……『鯰絵―民俗的想像力の世界』 コルネリウス・アウエハント 小松和彦中沢新一飯島吉晴・古家信平訳 せりか書房 1986年 40頁

 

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