紹介(6)『歴史・レトリック・立証』 著:カルロ・ギンズブルグ o

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 そうしてことの序でに学について真面目に努力しているかのような外観を装うために、この種の諸関係を前提とすることから結論として導き出す遁辞についても、さらにはすべてに解答を与えてやろうとしてとやかく心を苦しめることも無用である。そんな苦労をせずに、これらすべてをでたらめで気まぐれな「表象」として即座に投げ捨ててしまってよいであろうし、またこれらの「表象」に結びついている「絶対者」とか「認識」とか「客観的なものとか」とか「主観的なもの」とか、その他無数の語の意味は一般によく知られているとして、この意味が前提して用いられているがこんな用法は詐欺とさえ見なされてよいであろう。なぜなら、一方ではこれらの語の意味は一般によく知られていると言いふらし、他方では自分でもそれらの概念をもっていると言いふらすのは、この概念を与えるという主要課題は、これを省略するつもりとしか見えないからである。こういう省略よりも、むしろ学自身をさえ拒否するつもりであるところの、この種の表象やお題目については、およそ一顧の注意をも払う労力を省略する方が正当であるであろう。けだしこれらの「表象」やお題目は、学が登場するあかつきには、即座に消え失せるところのうつろな現象に過ぎないからである。

精神の現象学』 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 金子武蔵訳 岩波書店 1971年

 

 

 

 

 つまり何かオベリスクのような途方もなく大きな戦勝もしくは、大事件のための装飾のためのものが、移動されねばならず、しかもそれを人々が素手で着手したとした場合、果たしてこのことが大変愚かなことだと、誰か冷静な傍観者が認めないかどうか。(・・・・・・中略)もしまた彼らがある選択を行おうと欲し、比較的虚弱なものを引き離して頑丈で元気のあるものだけを使い、ここから約束されたことを果たすことができようと望んだら、もっとひどく気が変だと思わないか。いやさらにこれにも満足せず、ついには力技の術に訴えようと決意して、すべての人間に次々と手・腕・筋に術に従って充分に油を塗り薬液をつけて、出てくるように命じたとしたならば、彼らは何か理性と思慮を具えつつ、気違い沙汰をするために骨を折っていると叫ばないかどうか。

『ノヴム・オルガヌム』 フランシス・ベーコン 桂寿一訳 岩波文庫 1978年

 

 

 

 研究者の同僚・階級、社会経済、文献へのアクセスは、研究者の性向に大きな影響を与える。繰り返すが、研究者の研究は有意義な方向へ向いている。有意義な方向とは、基本的に、研究者の生きる時代に支配的な方向である。一方で、研究者は(本人がどのように理解していたかは不明である)分野をまたがって研究している場合は多い。また、凡そ19世紀半ばまでの「天文学」の価値は、今日とは異なるだろう。「計測」、「観測」、「推測」、思惑買い、うんぬん。

 

 

 「discovery発見」は、探しているために発生する。分離された個人の思考、分離された学問領域の形成により、近代の社会科学へのアリストテレスの導入は、自然に発生したと言える。この文脈で、「真理は自ら展開し完成する」とするへーゲルは誠実だろう。研究者の研究は有意義な方向へ向いている。例えば、神聖ローマ帝国プロイセン王国において、ヘーゲルは、弁証法を用いてアリストテレスの自然科学の方法を、また、『トピカ』に見られる「推論(の様式)」を歴史に適用する。

 

 

 

(82)歴史を科学的に基礎づけようと望むブルジョワジーの時代は、融通無碍なこの学自体が歴史的にはむしろ経済によって築かれたはずであることを無視する。その逆に歴史が科学的知識に根本的に依存するのは、単に経済史に限ってのことでしかない。経済そのものの中で歴史が占める地位―経済自体の基礎にある科学的所与を変更する包括的過程―は科学的観察という観点によってどれほど無視されてきたことだろう。(・・・・・・中略)経済を乗り越えようとする企図、歴史を所有しようとする企図は、社会の科学を知り、社会の科学を自らに帰さねばならないとしても、それ自体は決して科学的ではありえない。
(87)・・・・・・しかし、マルクスは、ボナパルティスムのなかに、資本と国家との融合と「労働に対する資本の国民力、社会的隷属のために組織された警察力」の政体の上に成り立つこの現代の国家的官僚主義を既に素描していた。そこでは、ブルジョワジーは自分たちをモノの経済史に還元しないような一切の歴史的生を放棄し、「他の階級と同じ政治的虚無を宣告されること」を自ら進んで願い出る。

スペクタクルの社会』 ギー・ドゥボール 木下誠訳 2003年

 

 

 

 

 

 分離された特定の個人の思考(の結果)を、本人あるいは後の者が、何らかの比較対象と差異を造ろうとすることで、分派・主義・イデオロギーは発生する。実存主義は、自然を「自然」とする、本質を「本質」とすることで発生する。構造主義的な「記号」「言語」のモジュール化は正常に発生する。特定の観測者だった観測者が、多数の不特定な計測者たちになる/なって行くことで、計器への物神崇拝は発生する。実証主義・データの偏重、観測者の目的・作為の無視は正常である。

 

 

 相対な相対主義、相対な絶対主義、絶対な相対主義、うんぬん。先見的、第三者的観点、客観的、ほげほげ。記号という記号、記号学という記号、主義という記号、記号という主義、などなど。「意味されているもの」と「意味しているもの」しか存在しないという還元を受け入れるならば、というよりもむしろ、真理の相対性を「分析の道具」とのたまい、言語で表現する哲学者たちについては、自分の飯の種になるかどうかということにしか、興味を抱けないのだから ? という表現で済ませるべきである。

 

 

 「可知と不可知」、すなわち、可能と否定は「可知」らしいが、世界が存在するか不可知で、自分が存在するか不可知である、としつつ教授職に留まりたがる懐疑論者・観念論者は少ない。フリードリヒ・ニーチェは結果的には職を辞した。概して、「記号」「言語」のモジュール化を好む科学者は「仏教」を好み、「仏教」は科学者の任意であり、仏教の教えの体系はモジュール化できると考えたがる傾向にある。自然数の系列に留まる、むしろそれ以上の思考を拒む仏教ならば、「自然」に多元宇宙の解釈が発生する。

 

 

 「有るか無いか、不可知である」は、「有るか無いかは任意である」とは、異なるとすることは可能である。懐疑論者・観念論者は「不可知」という表現に、「任意性」が含まれるかは自分の任意だと考えたいらしい。概して、「記号」「言語」のモジュール化を好む科学者は、研究中の自分は無く(そのため客観的である)、休憩中の自分は有る(そのため給与はもらう)と考えたがる傾向にある。

 

 

(12)一つのことしか考えないスカラムッシュ。 —— 何もかも言ったあとで、まだ十五分間もしゃべるほど、言いたくて仕方がない博士。
(43)ある著者たちは、自分の著作について話す時、「私の本、私の注解、私の物語、等々」と言う。そう言う彼らは、一戸を構え、いつも「拙宅では」を口にする町人臭がぷんぷんしている。彼らはむしろ、「われわれの本、われわれの注解、われわれの物語」というほうがよかろう。というのは、普通の場合、そこには彼ら自身のものよりも他人のもののほうが、よけいにはいっているからである。
(148)われわれは、全地から、そして我々がいなくってから後に来るであろう人たちからさえ知られたいと思うほど思い上がった者であり、またわれわれをとりまく五、六人からの尊敬で喜ばせられ、満足させられるほどむなしいものである。
(260)彼らは多数の中に隠れ、自分らの助けとして数を求める。 喧噪。 権威。 あることを人から聞いたということが、君の信じる基準になってよいどころか、それをいまだかつて聞いたことがないような状態に自分を置いたうえでなければ、何も信じてはいけない。

 『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一・由木康訳 中央公論社 1978年

 

 

 

 

『フランスの農村史の基本性格』はブロックが「もっとも深くてもっとも確実な歴史」ということで考えていたものの一つの模範例である。歴史を後ろ向きに書こうという着想がブロックにおとずれたのは、映画に対するかれの周知の情熱からではなかったのだろうか。記録資料の面での空隙をナラティブの一部として受容しようという着想はフローベールから吹き込まれたものではなかっただろうか。これらはたぶん答えのないままとどまるほかない問いであろう。しかし、ナラティヴ上の工夫の存在事実そのものが―直接的にであれ間接的であれ沈黙の拒否権を取り除くことによって―調査研究への道を生み出すのである。

『歴史・レトリック・立証』 カルロ・ギンズブルグ 上村忠男訳 みすず書房 2001年 43頁

 

 

 

関連
『読書人の没落―世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』
『知の歴史社会学―フランスとドイツにおける教養1890~1920』 フリッツ・K・リンガー 筒井清忠・中島道男・田中紀之・小川伸彦・永谷健・ 北垣徹訳 名古屋大学出版会 1996年

『再生産 〔教育・社会・文化〕』 ピエール・ブルデュー、J-C・バスロン 宮島喬訳 藤原書店 1991年
『未来の考古学 第一部 ユートピアという名の欲望』 フレドリック・ジェイムソン 秦邦生・河野真太郎・大貫隆史訳 作品社 2011年

 

 

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