紹介(7)『ワット』 著:サミュエル・ベケット i

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 ワットがたとえば真東に進むときの歩き方はこうであった。まず上半身をできるだけ北へ向け、同時に右脚をできるだけ南へほうり出す、次に上半身をできるだけ南へ向け、同時に左脚をできるだけ北へほうり出す、つぎに上半身をできるだけ南に向けて、左脚をできるだけ北にほうり出す、といった調子で、何回も何回も、目ざすところに到着して腰を下ろすことができるまで、これを繰り返すのである。(・・・・・・中略)


『ワット』 サミュエル・ベケット 高橋康成訳 白水社 2001年 37頁

 

 

 

 

(244)誰かが「わたしには身体がある」と言うならば、われわれはこう問い返してよい。「その口で話しているのはいったい誰なのだ。」
ウィトゲンシュタイン全集9 確実性の問題』 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン 黒田亘訳 大修館書店 1975年

 

 

 

 怪物の想像には(ⅰ)何かを過剰に置く(ⅱ)何かを過少に置く(ⅲ)何かを置換する、という3つの区分が適切である。神話のみならず、4本・6本・8本脚の「自然な」怪物は散見される。もっとも、単眼や奇数足は王であれ異民族であれ人間を表す、とするのは性急だろう。宦官はその始まりにおいて、捕虜または奴隷の性器を切除したというが、時代は下り、商才に豊かな宦官の父親は自分の子を去勢し、また、ある者は自らに去勢を施すようになる。切り取った性器は「宝」と呼ばれ、死後に遺体とともに埋葬された。東アジア地域(中国・韓国・日本など)のみならず、特に太陽との関わりで、3本足の鳥の伝承が記録されている。時代と地域ごとの惑星の順序の知識を述べるのは難しいが、文明の初期において確かに、太陽の黒点と水星が混同があったようだ。神話のみならず、4本・6本・8本脚の「自然な」怪物は散見される。雌山羊を伴っていれば6本脚というわけではないだろう。

 

 

 中国において「不可能事・無理筋」を意味した「鶏姦」という表現は、我が国においては、さして珍しいことでもなかったのか、「男色」の意味を与えている。もっとも、明治以前の国内の馬が小さいからと言って、開国以前の日本が悪習の巣窟だった、とするのは性急だろう。江戸時代において一部の寺は鐘を鳴らし、時間を知らせる役を担ったというが、時代は下り、明治初期から日本各地で正午を告げる午砲が輸入・制度化される。これは、機関車や時計などと同様に明治期文学にしばしば現れている。

 

 

 偶像崇拝は開国以前から非常に盛んであり、生活用品の素朴な擬人化、淫猥な石像などは広く見られたが、野ざらしにされた人の彫像を拝むような悪習は無かった。人間を崇拝する際には、ある人間は人間ではないとする手続きが必要だった。日清・日露戦争の勝利後、国威発揚のためか、日本各地で銅像が設置される。1934年には、各所から寄付を募り、東京大学農学部教授の飼い犬から忠犬ハチ公像が立てられ、ついに四足獣を拝むようになる。ここに至る経緯・真偽・犬の心情には諸説喧しいので割愛する。原型となるハチが生存中に、またハチの前で公開されるなど、多重形象が生じていた。天皇は日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 

 

 

 ここに我々は双生化を認めることが可能であり、これはある種の二重的存在者を示唆しているのである――すなわち、ここに見られる人間=神の二重化は、コンスタンティヌスと〈敗北することなき〉太陽神を相互に交換可能な形象として示し、支配者の可死的で人間的な身体と、これに随伴する超身体―神なるがゆえに不可死で神聖な超身体―とを同時に表示するのである。

『王の二つの身体 中世政治神学研究』エルンスト・カントロヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年 493頁

 

 

 

 

 ときにはワットは迅速に考えをめぐらすことができた、ほとんどナッキバル氏と同じくらいに迅速である。また時には彼の思考はあまりにゆっくりと動いたので、まるで動かないでじっとしているかのように見えた。とはいってもそれは、ガリレオの揺り籠のように確かに動いていたのである。この違いぶりをワットは我ながらもひどく気にしていた、実際、気にするだけの理由はあった。

『ワット』 サミュエル・ベケット 高橋康成訳 白水社 2001年 152頁

 

 

 

 秦王朝の滅亡後の紀元前202年、楚漢戦争において、項羽の死には王者にふさわしく虞美人と騅が道連れとなったという。京劇の流行と共に潤色されたのだろう、司馬遷の『史記』では、虞美人と騅に関する記述はほとんど見られない。虞美人の出所・年齢は不明であるが、自決した、というのが一般的である。騅は葦毛(青みがかった灰色)の馬である。船での逃亡の申し出を断り、騅の道連れを惜しみ、項羽は人に与えたが、騅は別れた後に長江に飛び込んだ、というのが一般的である。

 

 

 幕末の横浜居留地において、同国人の亡骸を船で運送する華僑の姿が記録されている。「名」は、暗い夕暮れ時に道で会い、自分の名を告げるから「名」であるという。「名」は、「夕」が肉、「口」が器で祭儀の意味だという。「疑」が、十字路にとどまる人間と獣だからと、懐疑論者は抗弁するだろうか? 朝には四本足、昼には二本足、夕には三本足の生き物。

 

 

 

 

 (・・・・・・中略)そこでマガショーン氏はオメルドン氏のほうに向き直ったのに、オメルドン氏は期待に反してマガショーン氏を見つめておらなんだ(期待ちゅうたわけはじゃ、マガショーン氏は、自分がオメルドン氏を見つめようと向き直ったときにオメルドン氏が自分を見つめとるんじゃないかともし期待しとらなかったら、きっとオメルドン氏を見つめようと向き直りはしなかったじゃろう、それよりも首を前に出すか、後ろへ引くかして、マックスターン氏かデ・ベイカー氏を見つめとったじゃろう。まあマックスターン氏のほうじゃろうな、デ・ベイカー氏を見つめたのは最近じゃったから)、オメルドン氏はマックスターン氏が自分を見つめとるんじゃないかと思ってそちらを見とったんじゃ。してこりゃまことに自然なことじゃった。なぜかてオメルドン氏がマックスターン氏を見つめたのはオメルドン氏がほかのだれを見つめたのよりも以前のことじゃったからな、それにマックスターン氏がオメルドン氏を見つめたのはマックスターン氏がほかのだれを見つめたのよりも最近のことじゃとはオメルドン氏としては知るよしもなかった、じゃが実はマックスターン氏はたったいまオメルドン氏を見つめるのをやめたばかりじゃった、そうじゃろう? そこでオメルドン氏の期待に反してマックスターン氏はオメルドン氏を見つめとらずに、デ・ベイカー氏が自分を見つめとるんじゃないかと思ってそちらを見つめとった。(・・・・・・中略)


『ワット』 サミュエル・ベケット 高橋康成訳 白水社 2001年 210~211頁

 

 

 

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