紹介(9) 『文明化の過程』 著:ノルベルト・エリアス a1

 エラスムス自身は彼の小著『少年礼儀作法論』に、彼の著書の全体の中でそれほど大きい意義を与えていなかったかもしれない。かれは、序文の中で、若い人々の訓育にさまざまな部門があって、「礼儀作法」はそのうちのひとつの部門であり、自分はそれが「哲学の最も粗野な務め」であることを否定しない、と述べている。この著作は個別的な現象、個人的な著作として、というよりもむしろ、ある変化の徴候として、社会の出来事の具体化として、全く特別な意味を持つようになる。

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 人々が食卓に着いている場面である。エラスムスは言っている。「右側にコップとよく磨きあげたナイフを、左側にパンをおきなさい。」これが食事用具である。大抵の人はナイフを携帯している。このことから、ナイフを磨きあげておく、という決まりができたのであろう。フォークはほとんどない。あっても精々のところ、大皿から肉をこちらへ取るためのものにすぎない。ナイフとスプーンは、共同で使用されることが非常に多い。各人にそれぞれ別々のナイフやスプーンの類があるとは限らない。液状のものを出されたら、それを味わい、スプーンをよくぬぐってからそれを返しなさい、とエラスムスは言っている。
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 食事の前には手を洗うべきだ、とエラスムスは言っている。
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 指は脂でよごれてくる。それをなめて取ったり、上衣でふき取ったりするのは無作法である、とエラスムスは言っている。
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 子供は尻をすぼめて屁をこらえるべきだ、と言うひともいるが、そんなことをしたら病気になるかもしれない、とエラスムスは述べている。
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 われわれの意識は、自分たちの歴史のこの我々とは異なった段階のことを、全く何のためらいもなしに回想できるとは限らない。エラスムスと彼の同時代の人々が人間の振舞いのすべての領域について述べる際の、あの何ものにもとらわれない率直さは、われわれには失われてしまった。多くの点でかれは、われわれの羞恥心の限界を超えている。『文明化の過程 上』 ノルベルト・エリアス 赤井慧爾・中村元保吉田正勝訳 2004年 141頁

 

(242)われわれはその都度、「わたしは断固としてこれを信じる」と言わなくてもよいのか

(249)ひとは疑いについて誤った像を描く。『ウィトゲンシュタイン全集9 確実性の問題』ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン 黒田亘訳 大修館書店 1975年

 日露戦争前期に販売が開始された「正露丸」は、当初「征露丸」と名づけれた。「熊の胆」は熊の胆だった。「鹿茸」は鹿の角だったか、不明である。「竜涎香」は、烏賊の嘴などから成るマッコウクジラの結石らしい。「木乃伊(松脂・馬の乾し肉・香辛料と人の遺体)」が友人と同じだったか、不明である。1897年、ドイツ、バイエル社のフェリックス・ホフマンはアセチルサリチル酸の合成に成功する。1899年には同社により「アスピリン」の商標が登録され、発売された。1894年に高峰譲吉アミラーゼの一種、ジアスターゼを抽出し、消化薬「タカヂアスターゼ」を販売する。火葬と土葬には地域差が見られた。焼いた肉から芳ばしい香りが立ち上るかは、遺体の安置の仕方によるだろう。人が「葬儀」をどのように理解したか、不明である。赤米は、種皮が赤茶色の米である。黒米は、果皮が黒紫色の米である。生育力や耐寒性などに優れていた。往時は祭儀で用いた。

 

 鎌倉時代以前から、荘園を管理する寺院に生産物は集中し、僧房酒が製造されていた。伊丹や灘の酒造が整備され、精米歩合は低い、濁りのない酒が製造された。下り酒は江戸時代の後期ごろには普及する。灰は、有機物と無機物を燃やすことで「酸化した無機物」として得られる。炭は、炭素化合物を酸素の不足下で加熱することで得られる。チャールズ・ディケンズの『リトル・ドリット』のみならず往々に、長い杖をつく疲れた老人は、知恵ある少女を連れ歩く。『春琴抄』を著した谷崎潤一郎は、晩年には老人の性愛を描いた。源平から江戸幕府の滅亡に至る士道の変遷は興味深い。十字に割いた切腹は、いつの間にか、一度横に切るのみとなった。プロイセン王国には、異教趣味で、孤独そうな星好きが散見される。バビロンのカルデヤ人によれば、水星は今よりもずっと、遠いところにあったと言う。「ballooningバルーニング」は、クモ類の幼体が糸を使って飛ぶことである。礼儀―儀礼は仕事を増やし、発展を鈍化させ、差異を正当にし、多様な平和をつくる。Windowsは「rational合理的」である。

 

 ノルベルト・エリアスは1897年ブレスラウ、現ポーランド生れのイギリス国籍のユダヤ系ドイツ人である。ブレスラウ大学では心理学、哲学、医学を専攻とし、一時期はハイデルベルク大学にも在籍した。1924年にブレスラウ大学を卒業し、1930年にはフランクフルト大学で教授職を得るが、ナチス台頭後、1933年に失職しイギリスへ亡命する。その後1960年までほぼ無名のまま過ごすが、アナール学派の興隆とともにその著作が脚光を浴びる。1990年にオランダ、アムステルダムにて死去した。ノルベルト・エリアスが本著作の執筆を終えたのは1936年、第二次世界大戦の始まる前である。著作の目的、全体の約言は、ノルベルト・エリアスが序論に置いている。著作は例証を主とする。ノルベルト・エリアスはこれを「経験的」と表現する。

 

(ⅰ)社会と「個人」(ⅱ)社会と「集団」(ⅲ)集団と「identified特定の」個人(ⅳ)個人と「一定の」個人の図式が「社会学者」の理解の役に立つ。必然的に超越的な社会学者は、「資格を与えられた」個人として、社会を観察できる。社会学がその起源から現代にかけて社会学者を殖やして養うため、領域の分離、手続きの転用、分野の統合、領域の拡張、即ち「多様化」したことは確かである。包括的表現としての「社会科学」は、現代においては統合の傾向にある。ある学問の分離(=創造)は、科学の多様化である。以下にはノルベルト・エリアスの時代の「社会学者」としての、ノルベルト・エリアスの立場が多く含まれる。

 

 合理化の歴史的過程はこれまで秩序だった学問的思考ではほとんどあるいは極めて漠然とした形でしかとらえられなかった過程のある種の典型である。それは――伝統的な学問の図式に固執すれば――まだ実在しない学問領域、すなわち歴史的心理学の領域に属している。
 社会学についても事情はこれとあまり変わらない。社会学はそもそも歴史的な問題を取扱う限り、歴史学者が人間の心的活動とそのさまざまな表現形式、たとえば芸術、理念その他なんであれそれらとの間に引く分割線を受け入れる。
 ……あまり合理的でない思考および行動様式が徐徐に合理的な思考および行動様式に移っていくとき、その移行が社会を変えるかどうかを尋ねてみても全く意味のないことは確かである。……しかし、文明化の過程をたとえば「上部構造」ないし「イデオロギー」として、すなわち個々の社会的グループないし社会的利害の、他のグループないし利害との戦いの際の武器としての機能からのみ説明することも、同様に意味のないことである。
 ずっと以前から人間の意識のなかには、「精神」(Psyche)、すなわち人間の心の状態はいろいろな領域から成り立っていて、その領域はお互いに無関係に働き、お互いに無関係なものとしてみることができるという考えが深く根をおろしている。『文明化の過程 下』 ノルベルト・エリアス 波田節夫・溝辺敬一・羽田洋・藤平浩之訳 2004年 408頁 

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