紹介(10) 『文明化の過程』 著:ノルベルト・エリアス a1

  ノルベルト・エリアスの前提・立場を推測するなら、(ⅰ)科学者は(市民)社会に属する個人であり、分離された超越的な個人として思考し得る(ⅱ)分離された個人の思考から得られる結果は、ノルベルト・エリアスに有意味かつ有意義である、または、(市民)社会に有意味かつ有意義とされる(ⅲ)社会学は科学に属する(ⅳ)科学は(市民)社会に属する(ⅴ)社会学者は科学者である、となる。

 

(194)今日、スペクタクルの思考として発展し続けている知識の全体は、正当性のない社会を正当化し、虚偽意識の一般的科学として自らを構成せざるを得ない。この思考は、スペクタクルのシステムの中にある自らの物質的基礎を思考できず、思考したいとも思ってもいないという事実に、完全に条件づけられている。
(195)外観を社会的に組織する思考はそれ自体、それが擁護する低ーコミュニケーションの一般化によって蒙昧化する。この思考は、自らの世界のあらゆるモノの起源には衝突があったのだということを知らない。スペクタクルの権力――応答なきその言語システム内部の絶対権力――の専門家たちは、軽蔑と軽蔑の成功を経験することによって、絶対的に腐敗した。『スペクタクルの社会』 ギー・ドゥボール 木下誠訳 2003年  

 

 社会学上の最初の偉大な先駆的業績が生み出された十九世紀の工業化社会においては、この世紀の間に、新興産業階級の社会的信条、理想、長期的目標と希望を表現する声が、旧来の宮廷王朝的・貴族的もしくは門閥的権力エリートの意志に即して、現存社会秩序の維持・保存を目指す声に比し、「時代の合唱」の中で漸次強さを増しつつあった。前者は新興階層としての彼らの状況にふさわしく、大きな期待をこめてよりよき未来を待望していた。『文明化の過程 上』 ノルベルト・エリアス 赤井慧爾・中村元保吉田正勝訳 2004年 19頁

 

 社会学は、フランス革命後の社会の(=市民社会国民国家)制度設計・機能の評価に始まる。学問の領域設定から、社会学は特定の個人・著作を強調することができない。哲学の領域設定が「分離された超越的な個人の思考に可能なこと」であるのと同様である。科学の哲学は必要である。数学の哲学は含まれている。哲学の数学は虚である。歴史の中で、分離されたー超越的な個人の思考に重きを置く時代は予測された。社会科学で用いられる便利な表現、「phenomenon現象」は、科学者が分析の対象とするため「objectivity客観性」を有する。そのため科学者の分析の対象になる、とするのが適当である。ノルベルト・エリアス社会学の領域設定の結果や「turning point転機」「a diverging point分岐点」の重要性を認めている。ヨーロッパの転機がフランス革命からナポレオン体制と第一次世界大戦であり、日本の転機が明治維新第二次世界大戦だったことに疑問の余地はない。アリストテレストマス・アクィナス、イマニュエル・カント、カール・マルクスの体系の著作を、多くの者が目を通したのは疑えない。

 

  確かに逆行的な強い変動があることも考えられないことではない。たとえば、すでに第一次世界大戦での生活様式は、平和な文明においてゆるやかな、もしくは厳しいタブーであったものをやむなく打ち破った、ということはよく知られている。塹壕の中では将兵ともに、やむを得ない場合は、再びまたナイフと手で食事をした。不快感を感じる範囲が、避けることのできない状況のために、かなり急速にずれていったのである。『文明化の過程 上』 ノルベルト・エリアス 赤井慧爾・中村元保吉田正勝訳 2004年 267頁

 

 西欧の精神的発展について書かれた伝統的な記述を通読してみると、しばしばその著者たちが何か漠然とした形で、西欧の歴史において意識が合理化され、呪術的=伝統的思考形式が合理的思考形式へ変化した原因は、一連の天才的な、特別賢明な個人たちの出現にあるのだ、という考えをもっているような印象を受ける。

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 本書では見方が違う。西欧の偉大な思想家たちが残した業績は確かに小さくはない。かれらは同じ世代の人たちが日常の行動で見聞してはいるが自分自身でじっくりと考えて、明確に、そして完全に自家薬籠中のものにできなかったものを、堂々とした、纏まった、模範的な言葉で表現したのである。社会の仕組みの広範囲な構造変化によって徐々にでき上がったより合理的な思考形式を純化し、その助けを借りて人間存在の根底にまで突き進もうとした。他の人たちに彼らの住んでいる世界と彼ら自身について、より明確な知識を伝えたのである。そういうわけで、かれらはかなり巨大な社会機構のなかで、同時に梃子(てこ)の腕木としてその動きに関与した。かれらはその偉大さならびに個人的立場に従って、規模の大小はあっても集団の解説者であり、代弁者だったのである。しかし彼らはその社会に流行していた思考形式の創始者ではなかったし、われわれが「合理的思考」と名づけるものの創始者でもなかった。『文明化の過程 下』 ノルベルト・エリアス 波田節夫・溝辺敬一・羽田洋・藤平浩之訳 2004年 417頁 

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