紹介(11) 『文明化の過程』 著:ノルベルト・エリアス a

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 社会学上の最初の偉大な先駆的業績が生み出された十九世紀の工業化社会においては、この世紀の間に、新興産業階級の社会的信条、理想、長期的目標と希望を表現する声が、旧来の宮廷王朝的・貴族的もしくは門閥的権力エリートの意志に即して、現存社会秩序の維持・保存を目指す声に比し、「時代の合唱」の中で漸次強さを増しつつあった。前者は新興階層としての彼らの状況にふさわしく、大きな期待をこめてよりよき未来を待望していた。

『文明化の過程 上』 ノルベルト・エリアス 赤井慧爾・中村元保吉田正勝訳 2004年 19頁

 

 

 社会学は、フランス革命後の社会の(=市民社会国民国家)制度設計・機能の評価に始まる。学問の領域設定から、社会学は特定の個人・著作を強調することができない。これは哲学の領域設定が「分離された個人の思考(に可能なこと)」であるのと同様である。「科学の哲学」は必要である。「数学の哲学」は必要である。「哲学の数学」は不必要である。

 


 歴史の過程の中で、「分離された個人の思考に重きを置く時代」は正常に形成される。社会学者が給与をもらい、論文を書き講義をするという役割でもって「社会学者」である限り、社会学の結果は「改良を求める社会学」「改良されないことを嘆く社会学者」でしかない。

 

 

 社会科学で用いられる便利な表現、「phenomenon現象」は、(ⅰ)(科学者が分析の対象とするため)「objectivity客観性」を有する(ⅱ)そのため科学者の分析の対象になる、とするのが適当である。「特定の個人」が現象であるのは明らかであるが、社会科学者は、「(市民)社会のsubject主体」となり得る対象が、現象とされるのを好まない。科学者は現象である。

 

 

 科学者の循環論法と多様さを好むなら、概念の組み合わせから、「event出来事」「style様式」「preference趣味」「fashion流行」「memeミーム」・・・・・・・などの表現をいくつでも生成できる。学問の領域設定・科学者の偏向を多分に含むこれらの表現は、冗長な表現を避けるためにも、さらに科学者の「有意味な」分析のためにも必要である。

 


ノルベルト・エリアス社会学の領域設定の結果や「turning point転機」「a diverging point分岐点」の重要性を認めている。ヨーロッパの転機がフランス革命からナポレオン体制と第一次世界大戦であり、日本の転機が明治維新第二次世界大戦だったことは疑問の余地がない。アリストテレストマス・アクィナス、イマニュエル・カント、カール・マルクスの体系の著作が―理解されたかはともかく―多くの者が参照したのは疑えない。)

 

 

 確かに逆行的な強い変動があることも考えられないことではない。たとえば、すでに第一次世界大戦での生活様式は、平和な文明においてゆるやかな、もしくは厳しいタブーであったものをやむなく打ち破った、ということはよく知られている。塹壕の中では将兵ともに、やむを得ない場合は、再びまたナイフと手で食事をした。不快感を感じる範囲が、避けることのできない状況のために、かなり急速にずれていったのである。
『文明化の過程 上』 ノルベルト・エリアス 赤井慧爾・中村元保吉田正勝訳 2004年 267頁

 

 

 
 西欧の精神的発展について書かれた伝統的な記述を通読してみると、しばしばその著者たちが何か漠然とした形で、西欧の歴史において意識が合理化され、呪術的=伝統的思考形式が合理的思考形式へ変化した原因は、一連の天才的な、特別賢明な個人たちの出現にあるのだ、という考えをもっているような印象を受ける。(・・・・・・中略)
 本書では見方が違う。西欧の偉大な思想家たちが残した業績は確かに小さくはない。かれらは同じ世代の人たちが日常の行動で見聞してはいるが自分自身でじっくりと考えて、明確に、そして完全に自家薬籠中のものにできなかったものを、堂々とした、纏まった、模範的な言葉で表現したのである。社会の仕組みの広範囲な構造変化によって徐々にでき上がったより合理的な思考形式を純化し、その助けを借りて人間存在の根底にまで突き進もうとした。他の人たちに彼らの住んでいる世界と彼ら自身について、より明確な知識を伝えたのである。そういうわけで、かれらはかなり巨大な社会機構のなかで、同時に梃子(てこ)の腕木としてその動きに関与した。かれらはその偉大さならびに個人的立場に従って、規模の大小はあっても集団の解説者であり、代弁者だったのである。しかし彼らはその社会に流行していた思考形式の創始者ではなかったし、われわれが「合理的思考」と名づけるものの創始者でもなかった。

『文明化の過程 下』 ノルベルト・エリアス 波田節夫・溝辺敬一・羽田洋・藤平浩之訳 2004年 417~418頁
 

 


 倫理学功利主義はおそらく多くの科学者としても不適当な「領域」の設定なのだろう。近代に入り学究機関が整備されてから、どの文化・国であっても、自分の属する文化・国の伝統にもったいぶった表情で回帰する知識階級の姿が観察される。第二次世界大戦以来、計算機科学の発展によるのか、言葉がモジュール化され、体系化の努力を否定したがる社会科学者が増えた。

 

 

 ソフィストやルターは、また教育機関は問答形式を用いているが、問題に対して前提となる体系は受け入れるしかない。ヒッポのアウグスティヌスは、著作の中で分派を否定し、教会の統一について述べている。ヘーゲルは、「ミネルヴァの梟は迫りくる黄昏に飛び立つ」と表現した。記憶の夢と現在とを混同したドン・キホーテも死に際には、記憶と夢から覚めている。『春琴抄』の佐助は、火傷を負った春琴の顔を見ないよう、焼いた針を目に刺している。

 

 

 

 対話『恋する青年と乙女』で少女に言い寄る青年は、なるほどかれが彼女から望むものを極めて露骨に口にする。かれは彼女に対する愛を告白し、抵抗する少女に対して、「あなたがぼくの魂を肉体から吸い取ってしまった」と語る。「子供を産むことは許されていることであり、良いことである」と述べ、もし自分が王として、彼女が王妃として子供や召使たちに君臨するようになれば、どんなにすばらしいかを説明する。こうした説得の仕方は、成人と子供の間の現代に比べて小さな精神的隔たりが、現代に比べて大きな身分的隔たりと当時うまく調和していたことを明確に物語っている。結局少女はかれの求婚に応じる。彼女はかれの妻になることの同意する。しかし、彼女は自分の処女性を大切にしたいと言う。彼女の言によれば、彼女は処女性をかれのためにとっておきたいと言うのである。彼女は接吻さえもかれに対して拒絶する。かれがどうしても接吻させてほしいと願うと、笑いながら彼女は答える。「あなたの言葉によれば、わたしはあなたの肉体からすでに半ば魂を吸い取ってしまったのですから、このうえ接吻などすれば、きっとあなたの肉体から魂をすっかり吸い取ってしまって、あなたをそのために殺してしまうのではないでしょうか」と。
『文明化の過程 上』 ノルベルト・エリアス 赤井慧爾・中村元保吉田正勝訳 2004年 141~147頁

 

 

 

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付記
一区切りですやはり名詞に性があると、考え方が違うのでしょうか。
わたしが書くなら順序はこれで構いません。