社会の変化に対応して

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(チャズルウィット氏なら、「与格と奪格の複数形は同形にせねば・・・・・・」、でしょうか。惨めさが長引くだけだし、夜に疲れるために待つわけでもないので、わかりやすいだろう書き方を試みます。)

 

 

 「義」が一次元方向と応酬であることには疑いがない。であるから、批評家の鬱陶しいおしゃべりよりも、少年誌の簡潔さの方が好ましい。熟語とはそのようなものだが、「対義語」と「反対」は濫用される。動作の反対、形容詞の反対、名詞の反対、厄介なのは、いわゆる状態動詞の反対である。また、「長い」の反対に「長くない」を置くのは、華やかさに欠けるように感じるのだろう。

 

 

「有る」の反対が「無い」なのは正しいことだが、それを述べるなら判断を含む万事の反対に「無い」が置ける。ようするに、固定する方向が重要である。応酬はしばしば、比喩として商取引を用いることで表現されている。比喩としての農作業・漁業は労苦の表現に向いている。

 

 

 いわゆる、第二次産業の割合の増加は高々200年ほど前からのことであり、第三次産業については、戦後と述べた方がふさわしい。このような経済学者じみた表現は、現代でしかに役に立たない。必要から労働が生まれる経済と、労働から必要が生まれる経済は異なる。ノーベル経済学賞が一年毎に一つずつ増えていくというのは、 ―― だが、応酬において重要なのは、関係とspan期間、value価値である。期間は、必ずしも長さ(大きさ)ではなく、何らかのevent出来事であってもよい。

 

 一般的に、商取引は対等な関係で、期間は任意である。一般的に、契約という表現は、対等な関係で期間の定めを強調するのに用いられる。ホッブズ、ロック、ルソーたちの「社会契約」はここから理解したほうがよい。対等な関係において、価値は行為者相互の問題である。行為者相互の問題であるため、値するものを与え、値するものを返したという関係が成り立つ。

 

 

 ざっくりと言えば、オーブンでパンを焼くのは、我々には商取引とは言い難い。しかし、「薪に火をつけると燃える」というのは、商取引に似る、とした文明は多い。

 

 

 貴人が無防備な裸体を召使いにさらすのは、親愛の情を表現している、とした文明は多い。おそらく、そこにおいてはある種の対等な関係が擬勢されるのだろう。一方で、女性が性器をむき出しにするのを、威嚇の表現とした文明もある。猿は上唇を剥くものだが、不快感の表現とした文明もある。賞与・栄典においては、関係は対等ではない。賞与・栄典を与える者は、行為者という表現になじまず、制度との同化が求められる。賞与・栄典を与える者が期間を定め、価値あるものを定める。罰は、賞与・栄典の部分と表現して構わない。

 

 

マタイによる福音書

(5:38)『目には目を。歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

(5:39)しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい。

(5:40)あなたを訴えて、下着をとろうとする者には、上着をも与えなさい。

(5:41)もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

(5:42)求めるものには与え、借りようとする者を断るな。

 

 

 

 ハンムラビ法典の『目には目を。歯には歯を』は、私刑や当然に過大なものとなる復讐を防ぐものだという。聖書の記述は一見して価値が狂っていると見える表現が多い。ここでは、順序、「上に有界」、以下の聖書の表現が参考になる。(不安なので書きます。下着と上着は「innerインナー」と「outerアウター」でも構いません。表意文字は、外内、中、上下・・・・・・などの表現が難しいです。)

 

 

 肉のことと、精神のことは分けなくてはならない。上のことは精神のことである。肉のことは精神のことに従わせなくてはならないが、精神が無くても、肉のことが行われる場合がある。例えば、或る者が生活している所での、細々とした法に則った行為、慣習、儀礼、行儀などである。

 

 

 (法律用語の)「善意」と「悪意」から考えてもよいが、判断が肉のことであるため、確実性(注釈 「蓋然性」という語を設けてもよい)の問題として処理するしかなく、不十分である。善意と悪意では、頂く刑罰の期間(=周期)には差がある。

 

 

 

コロサイ人への手紙

(3:1)このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右に座しておられるのである。

(3:2)あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに、心を引かれてはならない。

(3:3)あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神の内に隠されているのである。

(3:4)わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光の内に現れるであろう。

(3:5)だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。

(3:6)これらのことのために神の怒りがくだるのである。

(3:7)あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。

(3:8)しかし、今はこれら一切のことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。

(3:9)互いにうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、

(3:10)造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。

 

 

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