note12 二重否定(因果性)

spectacleスペクタクル
stereographic projectionステレオ投影
manifold多様体
knowledge theory認識論
cognition認知

 

Itself自体
(ⅰ)tautology同義反復
(ⅱ)empty set空集合(tautology同義反復)
(ⅲ)metonymy換喩(部分で全体を表現する)
(ⅳ)synecdoche提喩(全体で部分を表現する)
・・・・・・などである。
例えば、'空間'という表現に、座標空間の概念を与えられた場合である。
(科)学の分離、唯物論、資本家と労働者と作業機械から想像するとよい。
方法を不当に用いることで、疑似問題(鳩のイデアクオリアパラドックスなど)が生成される。

 

 

これらの学派は成功に威を借りてしだいに教条主義的になり、根本的な詭弁を絶えずくりかえす。哲学と認識論に起源を置く空間が物神化され、心的な領域が社会的・身体的な領域を包みこむようになる。これらの著者たちの中には媒介の存在やその必要性についてうすうす気づいている者もいるが、ほとんどの者が何のためらいもなく心的なものから社会的なものへと飛躍する。

『空間の生産』 アンリ・ルフェーブル 斎藤日出治訳 青木書店 2005年 40頁

 

 

 

空間をあらわにすることができるのは空間それ自身によってであると言われる。(「同義反復」としても知られている)この手続きは、たやすく濫用され使用される周知の方法を濫用し利用する。それは部分から全体へと移行する換喩という手続きである。

『空間の生産』 アンリ・ルフェーブル 斎藤日出治訳 青木書店 2005年 160頁

 

 

 

方法論からすると、あらゆる科学的方法は最初から還元によっておこなわれなければならない。専門家の不幸のひとつは、専門家が還元のなかに身を落ち着け、そこに穴を掘ってその穴の中に幸福と確実性を見出しているということである。自分の「分野」をはっきりと限定する専門家は、わずかなりとも何かに取り組む意志があるかぎり、その分野で何ごとかをなしうるにちがいない。専門家が何を選択し何を「開拓する」かを決定するのは、その専門分野における領域的条件であり、知の市場におけるその専門的分野の位置である。だが専門家が知りたがらないのはまさにそのことである。専門家は自分の専門分野を成り立たせている還元に対して、それを正当化する態度をとる。つまりそれは否認の態度である。

『空間の生産』 アンリ・ルフェーブル 斎藤日出治訳 青木書店 2005年 174頁

 

 

 

 

(19)スペクタクルは、人間の活動を、見るというカテゴリーの支配下で理解した西洋哲学の企図の持つ弱点のすべてを受け継いでいる
(25)分離こそがスペクタクルのアルファでありオメガである。労働の社会的分割の制度化と諸階級の形成とが、聖なるものに対する最初の凝視を生み出した。それは、あらゆる権力がその起源の時点から己の身を包み込んでいた神話的体制である。聖なるものは、支配者たちの利害に適った宇宙的・存在論的秩序を正当化し、社会が行いえないことを説明し、それを美化したのである。分離された権力は、それゆえ、すべてスペクタクル的だった。だが、ある不動のイメージへの万人の賛同というものは、現実の社会的活動の貧しさを想像によって引き延ばすことを全員が承認したということを意味したに過ぎない。この社会的活動の貧しさは、自分たちの統一的条件として、まだ広く感じられていたのである。現代のスペクタクルは、逆に、社会のなしうることを表現する。しかし、この表現においては、許可されることは可能なことと絶対的に対立している。
(29)・・・・・・スペクタクルの具体的存在様態とは、抽象化にほかならないからである。スペクタクルにおいて、世界の一部がこの世界の前で演じられ〔=代理―表象され〕、しかもそれはこの世界よりも優れたものなのである。
(34)スペクタクルとは、イメージと化すまでに蓄積の度を増した資本である。

スペクタクルの社会』 ギ―・ドゥボール 木下誠訳 ちくま学芸文庫 2003年

 

 

(194)今日、スペクタクルの思考として発展し続けている知識の全体は、正当性のない社会を正当化し、虚偽意識の一般的科学として自らを構成せざるを得ない。この思考は、スペクタクルのシステムの中にある自らの物質的基礎を思考できず、思考したいとも思ってもいないという事実に、完全に条件づけられている。
(195)外観を社会的に組織する思考はそれ自体、それが擁護する低ーコミュニケーションの一般化によって蒙昧化する。この思考は、自らの世界のあらゆるモノの起源には衝突があったのだということを知らない。スペクタクルの権力――応答なきその言語システム内部の絶対権力――の専門家たちは、軽蔑と軽蔑の成功を経験することによって、絶対的に腐敗した。

スペクタクルの社会』 ギー・ドゥボール 木下誠訳 2003年

 

 

 

 

・・・・・・学説のためなら王国もくれてやろう! 王国のためなら学説もつくろう!はじめに革命の内気な呼び名である「事件」がやってくる、あとから学説がやってきて、その「事件」をちょろまかしてしまう。
・・・・・・こうしてガチョウから卵が生まれ、卵からガチョウが生まれる。

マルクスエンゲルス全集5 5月30日の会議におけるカンプハウゼンの声明』 村田陽一訳 大月書店

 

 

f:id:cunsong9403:20180704155405j:plain

 

補足

参考を中心に読んでください。

話題の絞り方がわかりません。意見が欲しいです。