note7 続

f:id:cunsong9403:20180808155925j:plain

 

付記

イグナチオ・デ・ロヨラが1521年のバンプローナの戦いで負傷し、1534年にはフランシスコ・ザビエル、ピエール・ファーヴルらを含むの六人の同志を経てイエズス会を結成、1540年にはパウルス3世により承認されます。

 

 

総会は会に在籍してまだ一四年の、三七歳のローマ管区長、クラウディオ・アクアヴィヴァを選出した。アトリ侯爵の子息で、古典、哲学、神学、法律の教育を受け、司祭に叙階され、ヴァチカンの権力中枢部内の要職に就いていた、このきわめて聡明な人は、一五六七年七月に、二四歳のとき、イエズス会に入会し、修練期を経て、短期間哲学を教えた後、ナポリ修道院長、ナポリ管区、その後ローマ管区の管区長にと次々任命された。アクアヴィヴァが長年にわたり扱わねばならなかった問題は驚くほどこみ入っていた。それは、イエズス会士の数が五千人から一万三千人に増えてほぼ三倍になるにつれ、イグナティウスの理想と目的を純正かつ真正なものに保つこと、学校が一四四から三七二に、会宅が三三から一二三に、管区が二一から三二に増えるのにともなう円滑な組織化、中国とインドの現地文化にカトリック信仰を適応させること、イエズス会の教育方法の成文化、海外宣教の拡張を指揮すること、といった問題である。

イエズス会の歴史』 ウィリアム・V.バンガード ――訳 原書房 2004年 118頁

 

 

 会・宗・(流)派・団・家など、―それぞれの表現には成り立ちから相応しい使い方がありますが―2以上の人が集まると、経済学者のように「科学」の権威にただ乗りしたり、哲学者のように何も考えない輩が現れます。

 

 法や「principle原則」を、共通(部分)、一般、特殊のいずれかから捉えても機能しません。

 

 それは社会学者が、「社会から完全に独立した個人」という還元を否定するのと似ており、また、社会学者が著作の中で(―「方法(論)として示す」ではなく―この「procedure手段」を用いれば)「社会」「個人」「科学」の還元が成功する、成功するのではないか?、有意義である、有意義と言っても良いのではないか?、としているのにも似ています。

 

付記

「paradox逆説」は、言語の構造上の不正であり、不可能なことです。構造とされるのは、(数学的な構造であったり、)語源であったり、言語学上の分類であったりさまざまです。

 

問題は「逆説」が言語の発展としては意義を有し、また、曖昧さを利用した修辞として楽しいことです。人間が誇張して仮定し、それに慣れ、めんどうくさい表現を生むことも重要です。例えば、仮定(予測)などしても無意味であるという判断、「もし、あなたの言うことが正しいなら」などです。

 

 

付記

女性は親と子との血縁に関し、男性に対して有利な立場にあります。それは、原始的な社会や「共産主義」スパルタで女性が権力を持ったことにも現れます。これと対照的に、女性への制限により姦通を避けようとするなら、いわゆるギリシア系の男性文化、中国の後宮、日本の大奥などが形成されます。