「鏡と交合は人間の数を増殖するがゆえにいまわしい」「右の手は左の手ではない」(3)

 

離散

稠密

完備

大きさ

自然数N,,×,N,))

有理数Q,,×,Q,))

実数(R,,×,R,))

大きさと1次元方向

整数(Z,,×,Z,))

有理数Q,,×,Q,))

実数(R,,×,R,))

大きさと2次元方向

 

 

複素数C,,×,C,))

大きさと3次元方向

 

 

 

大きさと4次元方向

 

 

四元数H,,×,H,))

 
自然数有理数(分数)は、順序稠密化である。有理数→実数は、完備化である。実数→複素数 は、倍作用の対象にしている実ベクトルの次元を 1から2に上げるものである。複素数四元数 は,倍作用の対象にしている実ベクトルの次元 を2から3( 結果的に4) に上げるものである。また一面では,複素数の「複素」形式の拡張である。四元数八元数 → 十六進数 は,純粋に「複素」形式の拡張である。方向をもつ量の概念を立て、方向を 1次元 →2次元 → 3次元 と上げようとすると,正負の数 → 複素数四元数 が応じる。量の概念を離散→順序稠密→完備と拡張しようとすると、 自然数→分数→実数が応じる。実ベクトルを量にして、実ベクトルの次元を1次元→2次元→3次元 と上げようとすると、実数→複素数四元数が応じる。複素数の「複素」形式を拡張しようとすると、複素数八元数十六元数が応じる。

 

宮下英明著作集

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Act行為するAction行為

「行為する」と「行為」という表現には、換喩(部分で全体を表現する)がある。
「行為」という表現については、形容詞(修飾語)は、制限的に用いるものとする。

 

表現
行為者たちの発展には段階があり、行為者たちは前の段階で用いた或る言語を次の段階で転用する。「考える」という表現は、「行為」という表現の部分とし、包括的な表現とみなす。「actor行為者」という表現では、entity存在とreal existence実在に付随しているpresence現存 を、区別しないということを意味している。

 

Idolatry偶像崇拝

計器は時間と空間を量にする――計器は任意性を有するという態度。
「時間」と「空間」は記号である。――記号は任意性を有するという態度。
計測者は条件なく任意性を有する。――計測者は計器であるという態度。
これらは重複して利用される。

 

或るentity存在は信仰によりreal existence実在となる。
存在と現存の差異はcognition認識に依らない。
(ⅰ)実在に付随しているpresence現存 (ⅱ)現存は実在性を有する
(ⅰ)(ⅱ)の表現の差異はわたしたちの視点に依存する。

 

コロサイ人への手紙
(3:1)このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右に座しておられるのである。
(3:2)あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに、心を引かれてはならない。
(3:3)あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神の内に隠されているのである。
(3:4)わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光の内に現れるであろう。
(3:5)だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
(3:6)これらのことのために神の怒りがくだるのである。
(3:7)あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。
(3:8)しかし、今はこれら一切のことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。
(3:9)互いにうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
(3:10)造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。

 

(348)・・・・・・空間によって、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えることによって、私が宇宙をつつむ。(72)すべてこの目に見えるこの目に見える世界は、自然のゆったりしたふところの中では目にとまらぬほどの一つの線にすぎない。
・・・・・・これは中心がどこにもあり、円周がどこにもない無限の球体である。『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一・由木康訳 中央公論社 1978年

 

 そのために、生産物はさらには作品さえもが、生産的労働から引き離されがちになる。そしてついには生産的労働が忘れ去られる。この忘却―哲学者であればこれを神秘化と呼ぶであろう―が商品の物神崇拝を可能にする。物神崇拝とは、商品が一定の社会諸関係をふくむと同時に、その社会諸関係の否認をももたらすということである。『空間の生産』 アンリ・ルフェーブル 斎藤日出治訳 青木書店 2005年 ――頁

 

 それゆえスコラ哲学は三つの範疇、すなわち〈永遠〉と〈永世〉と〈時間〉とを区別する必要があった。しかし、これらおのおのは誰に属するのだろうか。〈永遠〉と〈時間〉が誰に割当てられるかは明白である。無時間的な永久の現在は、神のみと同一である。そして世界創造から最後の審判まで続く現世の創造された有限な時間は、人間に属している。(・・・・・・中略)〈永世〉は天使とか天上の叡智体といった、神と人間の中間に位置する「永世的」存在者に帰属するものであった。『王の二つの身体 中世政治神学研究』 エルンスト・カントロヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年 282頁

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