おお、みろりのばやは おねしょをすると、はじめはあたたかくて、それからつめたくなる(7)

formlities手続き

form形式

formal公の/公なる

ローマ人への手紙
(4:1 )それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。
(4:2)もし、アブラハムがその行いのよって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない
(4:3)なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって彼は義と認められた」とある。
(4:4)いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。
(4:5)しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
(4:6)ダビデもまた、行いがなくても神に義とみられた人の幸福について、次のように言っている、
(4:7)「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちはさいわいである。
(4:8)罪を主に認められない人は、さいわいである。
(4:9)さて、この幸福は割礼のものだけが受けるのか、それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。
(4:10)それでは、どういう場合に、そう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けたときではなく、無割礼の時であった。
(4:11)そしてアブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり
(4:12)かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、我らの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々もさすのである。
(4:13)なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫に対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。

 

 (56)「私は不安に満ちた精神を持っている」。「私は不安に満ちている」のほうがよい。
(246)順序。神を求めるべきであるという手紙の後に、障害を除くこととという手紙をこしらえる。それは「機械」についての論であり、機械を整え、理性によって求めることについての論である。
(248)信仰は証拠とは違う。後者は人間的であるが、前者は神の賜物である。『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一・由木康訳 中央公論社 1978年

  

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converse逆inverse裏contraposition対偶

 

memo

学問とは命題の群、または、同じpremises前提ーconditions条件に従う主体の群である。

 

(meaningー)content意味
(ⅰ)或る一つの学問の公理、更に(ⅱ)或る一つの学問の公理と、其に従う前提を置いた或る主張から導けない観念。

 

significance意義
(ⅰ)或る一つの学問の公理、更に(ⅱ)或る一つの学問の公理と、其に従う前提を置いた或る主張、から導ける観念。

 

concept概念
(ⅰ)或る存在が記号に与える、
(ⅱ)或る言語で表現された命題、または、観念であり
(ⅲ)記号の本質と成る何か

 

definition定義 
其の主張から導ける真な命題。


theorem定理 
其の主張から導かれた真な命題。


postulate公準(axiom公理)
特定の主張から導かれない真な命題。

 

公理と公準、prerequisite要素/与件とelement元を表現として区別するのは有用である。「公理は共通の観念である」「公準は共通の命題である」「公理は一般の観念である」などの表現を考えなさい。公理と公準を或る言語で表現している場合、言語の不足から個別の公理が排他的に見える場合がある。異なる配列から記号を生成し、equivalence relation同値関係とする方が拡張し易い。

 

law of excluded middle排中律
(ⅰ)其の主張において、前提とした命題の値を真かつ偽とすることは許されない。(ⅱ)其の主張において、公理に反することは許されない。……などとなる。

 

(paradox逆説/パラドックスー)contradiction?

contradictionは、特定の主体の行為と合致しない言動、供述である。
(ⅰ)其の主張において前提に反する

(ⅱ)或る命題の値を真かつ偽とする

(ⅲ)其の学問の公理に、reciprocated相反した公理を置く

(ⅳ)或る一つの学問の公理と、其に従う前提を置く或る主張において、同時に相反した前提を置く、……などである。排中律と逆説、contradiction?は、antinomy二律背反を加えた方が明瞭である。主張は、一人称、二人称、三人称、必要と満足条件を加えてもよい。

 

memo

「わたしたちは実在である」「あなたとわたしは現存である」は公準である。
あなたとわたしは、共にあなたとわたしは受け答えが可能という前提を置き、
わたしは共通する観念を述べている。強いて、causality因果性から述べるなら、受け答えが可能な人を一人ずつ足し結果として構成されるだろう何かが公理である。

 

memo

「右をくれ」

「どうぞ」

「そっちは左だ」

「わたしから見て/あなたから見て右でしょう」

 この痴愚から諸々は始まる。無論、飾りを付けねばならない。先ず、右と左は具体ではない。companion同朋、impartial中立な第三者、政治、擬制、原告と被告の始原である。converse逆、inverse裏、contraposition対偶、contradicition?を生まねばならない。不特定な特定の個人、媒介((物)ー状況)依存、profit利益からゲーム理論が生まれた。

 

 (684)矛盾。われわれのすべての相反するものを一致させないかぎり、りっぱな人間像をつくることはできない。また相反するものを一致させずに、一致している性質の系列に従うだけでも、不十分である。ある著者の意味するところを理解するには、あらゆる相反する章句を一致させなければならない。
(866)二つの相反する真理を主張すべきときがあるとしたら、それは一方を除くことが非難されるときである。そうだとしたら、ジェズイットとジャンセニストとが、それらを隠しているのは、間違っている。だが、ジャンセニストのほうがよけいにそうだ。ジェズイットは、それらの双方を多少言明してきたから。『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一、由木康訳 中央公論社 1978年

 

(225)わたしがかたく信じているのはひとつの命題ではなく、命題の巣なのである。
(249)ひとは疑いについて誤った像を描く。
(260)「私は知っている」という表現を、わたしは日常的な会話における使用のためにとっておきたいのだ。
(263)学童は自分の先生と教科書を信じるのだ。
(383)「わたしは夢を見ているのかもしれない」という議論はつぎの理由によって無意味である。もし夢みているとすればこの言葉もまた夢中のことであり、これらの言葉に意味があるという、そのことも同様である。『ウィトゲンシュタイン全集9 確実性の問題』 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン 黒田亘訳 大修館書店 1975年

 

 (23)言葉はちがった配列をすると、ちがった意味を生じ、意味はちがった配列をすると、異なった効果を生じる。
(114)多様性というものは、あらゆる声の調子、あらゆる歩きぶり、せきの仕方、はなのかみかた、くしゃみのしかた……というふうに豊富である。人は果物の中から葡萄を見分ける。そしてあらゆる葡萄の中からマスカットを、ついでコンドリューを、ついでデザルグを、そして更にこの接ぎ木を見分ける。この接ぎ木に、かつて同じ二つの房ができたことがあろうか。そして同じ房に同じ二つの粒ができたことがあろうか。等々。 私は、同じものを、全く同じように判断することはできない『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一・由木康訳 中央公論社 1978年

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enallage転用