マタイによる福音書 (13:33)また他の譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」

マタイによる福音書
(13:33)また他の譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」

 

 教会はキリストの花嫁である。女性の性染色体はXXであり、男性の性染色体はXYである。女性が一般で男性が特殊である。アリストテレスの「Golden mean中庸」の徳が、(ⅰ)母親(姑)と、妻と夫(ⅱ)第一次世界大戦のイギリス、といったマキャベリズムや日和見の意味でないのは明らかである。アリストテレスなら(ⅰ)は関わりのないことだが、まずは母親に味方するように見せなさい、と勧める。孔子の「中庸」が、マキャベリズムや日和見と異なるのは明らかである。孔子は(ⅰ)では母親を敬うように、と述べる。仏教は多様にされたため、一概に述べられない。「蕾」と「実」の中間(反)は「花」だろう。「粥」と「パン」の中間(反)は「麺」だろう。蕎麦は早く食うものだと言われる。花は速やかに消えるから男性となる。待つのは女性の役割となる。

 

 男性は裁かねばならない。裁くならば、男性である。チャールズ・ディケンズの『大いなる遺産』にあるように、無用の争いを生むのは女性の役割である。裁く者に対し、争いを生む者は女性である。些事は争いと呼ばない。好き嫌いを述べてよいのは女性である。満州人は清朝を建て、「清」で女性を表そうとした。皇帝は男性である。近代国家は男性を国民/国民を男性と定めた。国同士の争いの最終的な解決手段を考えれば妥当である。傲慢は男の罪であり、嫉妬は女性の罪である。共産主義者は、世界同時革命を唱え、往時は典型的な男性性として描かれた。ヴィクトリア女王は雄々しい。男性は口を出すべきでない。女性は男性に従うべきである。男性は口を出したくない。

 

マタイによる福音書
(19:8)イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。

 

 結婚はしなくてよい。結婚の義務はない。一人の夫には一人の妻である。結婚が慎重に成されれば、離婚の危険は減るだろう。自分の妻を出し他の妻をめとることは正しくない。三回呪文を唱えて、役所に書類を届けて、同様である。義務ではない結婚は、妻の不品行が過ぎたとき、解消される。ムハンマドは trinity三位一体 を伝えるキリスト教徒を非難した。彼が三位一体を誤解したのは明らかである。『コーラン』のアラビア語以外の言語への翻訳不可能は知られている。『コーラン』には、唯一神への「99の美名」があり、それぞれが神の属性を表すという。ペルシア神秘主義には、hânaハーナ(居酒屋)という表現があるという。三位一体は神の属性(救済史的三位一体)と言えるし、神の性質(内在的三位一体)と言える。

 

 ムハンマドが世故に長け、人の心をよく理解できる人だったのは疑いない。コーランには特定の個人の個別的な事柄の影響が強くみられる。ムトア婚(一時婚)の解釈には、イスラム教の教派毎に争いがある。カトリックプロテスタントイスラムを問わず、時代と世俗の社会共同体に応じた解釈は必要となる。ムハンマドは終末までに共同体が73に分かれ、一つの共同体のみが選ばれる、と預言した。イエス・キリストは、終末までに多数の反キリストが現われるだろう、という。

 

 明治期に、日本の商法は憲法と同様にドイツ法に倣った。民法は市民革命後、ブルジョワの台頭したフランス法に倣った。第二次世界大戦前から、天皇の法的な性格には争いがあった。戦後、憲法ではイギリス法に倣い、天皇は象徴と位置付けられる。イスラム教では『コーラン』の卓越性を、文学的な再現不可能性から主張した。成文法は本質的にa common sayingことわざと大差ない。ことわざ相互の矛盾という考え方は必要ない。本質は思考の節約である。本質でない何かがあるのは当然である。イギリスとアメリカは判例法をとった。論理に基づいていても、推論の連なりは短い方が好ましい。清廉で勇猛な王は多い。抽象的な思考に慣れたあなたよりも、昔の人々はまず明確に結末を定め、物語の人々の行為を、その思考や選好も含め、辻褄を合わせて描くことを正当と見做す。

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