マタイによる福音書(16:24)それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」

マタイによる福音書
(9:32)彼らが出て行くと、人々は悪霊にとりつかれたおしをイエスのところに連れてきた。

 

 古今東西の教えに呼吸法があり、pneuma霊(風・息・賜物)の意味の一部は、息として表せる。わたしは普遍的な「image像/似姿」について述べる。未開人、武道家、取税人、医者、いずれも落ち着き得るには、呼吸を意識するのがよいと知っている。過呼吸になったら口を押さえる。人々の形成する、(超越的な)特定の個人という思想に、「oriental東洋的」という表現を用いる。「(超越的な)特定の個人」には、「oriental東洋的」という表現を用いない。創世記の神は土に息を吹き込むことでアダムを造った。語源とキリスト教に関するculture文化は省く。ドイツ語のBildungは、日本語では「陶冶」と翻訳される。「鳩」は聖霊の象徴とされている。北アフリカベドウィンのみならず、文化に遊牧生活が含まれている、アラビア人の象徴体系における「鳥」は多義的である。

 

 picture絵画は落ち着いて見るべき物である。「絵画」は落ち着いたとき、観えるimage像である。Iconイコン・聖画像はIdolatry偶像崇拝ではないし、「Miniature細密画」も偶像崇拝ではない。聖書や十字架は偶像崇拝ではないし、人形を買い求め、鏡を見て、故人の墓碑の前で手を合わせたとしても、偶像崇拝と非難されることはない。人々が「物」を求める。「物」を求めるのが人々の習性である。これは聖遺物その他の収集欲として現出した。

 

 正教において基本的にイコンは、平面に描かれる。細密画は画家の技術が未熟なのではない。ステレオ投影は古代エジプトでも知られていたという。中世において世界地図の多くが円形に描かれた。イスラムにおいて、カアバ神殿は世界の中心である。カトリックにおいては立像の使用が認められる。聖人は人々の信仰には重要である。しかし、信仰の本質ではない。人々は教会や寺院、モスクや神社、官公庁や刑務所に相応しい建築物を見たがる。

 

 

マタイによる福音書
(6:29)しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめたときのソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
(16:24)それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」

 

 男性は愚かなため服を脱ぐ。女性は着飾る。衣服で着飾る者は女性である。関係代名詞には制限用法と非制限用法がある。王は世俗の人々のため、本人が望まなくても華美な服を身に着ける。世俗の人々は外的な、分かりやすい物が好きである。行者・隠者・仙人、その他それに類する「何らかの神秘的な要素を獲た特定の個人」は、世俗の生活を捨てた「transcendental超越的な個人」はどの文化にも存在する。正教には「theosis神成」を望み、イスラム教のスーフィーは ?神的な合一を求める。概して、苦行を多分に含む修行、断食、瞑想、隠遁によって成る、ということである。

 

 このような信仰を強めてくれる個人が、大多数の信仰者に歓迎されるのは無理も無い。超越的な個人は、概して、世俗の人々から歪み崇められ非人間のような扱いを受ける。世俗の人々は外的な分かりやすい物が好きである。思想としての個人は、ペラギウス主義者、ルネサンス以来の才能ある個人、プロテスタントと関わる。超越的な個人が諸宗教と思想間の媒介となる、という現象が散見される。歴史の中で、キリスト教の列聖は政治的な動機、人々の信仰のために利用された。オルレアンのジャンヌ・ダルクが聖人とされる。ジャンヌ・ダルクの活動した時代、国家主義と列聖された状況と考えると、政治的動機が認められる。

 

 世俗の人々は超越的な個人の名を冠した共同体を造る習性がある。イエス・キリストムハンマドについては述べない。イスラム教のスーフィーは、ムハンマドを最初のスーフィ―と位置付ける。『コーラン』は、イエス(・キリスト)やムハンマドがただの人間である、と明記する。罪人には仲保者となるイエス・キリストが必要である。『コーラン』のイエス(イーサー)に関する記述は受け入れられない。わたしは非ユークリッド幾何を認める。ユークリッドは、彼自ら、「目から光線を出している」と考えねばならず、それ故に平行線は交わらない。

 

 世俗の人々は、超越的な個人の名を冠した共同体を造る習性がある。(ⅰ)共同体の各成員の理想、または、原型(ⅱ)権威の借用(ⅲ)他の共同体との差異化が目的となる。これらは重複し得る。聖フランシスコ(1182~1226)はイタリア半島中部に裕福な毛織物商人の息子として生まれた。母親は貴族の血筋とされるが、これは定かではない。少年期、青年期の記録は少なく、聖フランシスコどのように回心に至ったかは不明である。彼は父親の商品を売り払い教会修繕の費用に充てる。父親はこれに怒り、結果として、フランシスコと父親はアシジ司教の前で対決する。フランシスコは衣服を脱いで裸になり、父親との縁を切る。彼は、「裸のキリストに裸で従う」。その後、教団の結成、魚への布教、小鳥への説教、イスラム教圏への布教など精力的に活動する。

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