マタイによる福音書 (6:19)あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また盗人らが押し入って盗み出すような地上に宝をたくわえてはならない。

マタイによる福音書
(13:11)それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬(たとえ)でお話になるのですか」。

 

 およそ世にある見世物の類いの中で、「メルツェルの将棋差し」ほど、世間の耳目を集めたものはあるまい。それが実演されたところではどこでも、すべて物を考える人の強い好奇心の的となった。しかもメルツェルの将棋差しのmodus operandiからくりは、いまだに解明されぬままとなっている。この今日の話題について書いたもので、決定的と言えるものは一つもない。いわば機械の天才ともいうべき人たち、或いは一般に聡明と分別で鳴っている人たちが、この自動人形は本物の機械であり、その動きに人間の手は全然加わっていない、したがってこれこそうたがいもなく人類の発明の中で、もっとも驚嘆に値いするものだ、などと軽率にも言明している。多分その通りだろう。ただし彼らの仮説が正しいと仮定しての話である。機会であるという仮説を認めるなら、古今を通じてこれに比肩しうる機械があるかなどと考えること自体、愚の骨頂と申すべきである。 『ポオ小説全集1』「メルツェルの将棋差し」E・A・ポオ 小林秀雄大岡昇平訳 東京創元社 2007年 237頁 

 

 「同一な別の一つの特定の対象」「同一な別のわたし」という供述は許されない( * ドッペルゲンガー)( * (英)prerequisite(英)element元)。亀は(現に)こちらに居り、巨大なアキレスは舞台の上に現れる。ユダはイエス・キリストをparadounai裏切る(引き渡す)。

 

マタイによる福音書
(6:19)あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また盗人らが押し入って盗み出すような地上に宝をたくわえてはならない。
(6:24)だれもふたりに主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは一方にに親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

 

 共同体の集会[市民集会]のあらゆる政治的機能、つまりたしかに際立って政治的な性格の訴訟だった刑事訴訟手続きにおける上訴(プロウォカティオ)の決定も、同じく政務官の任命や法の採択や棄却も、軍事義務があり集団的に召集された者の手に移譲されるか新たに獲得されたのであって、その結果ケントゥリアが、今や市民共通の義務も受け入れることになったのである。このようにして、セルウィウスの国政によってもたらされた小さな始まりが、とくに攻撃的な宣戦布告にあたり軍隊に委託された承諾の権利のように、次のような発展を見せることになった。それは、クリア集会がケントゥリア集会によって完全にまた永久に光を失い、だれもが、主権者たる民衆の姿をケントゥリア集会において認めるのに慣れてしまったことである。この集会では討論は、主宰者たる役職者が任意に自ら発言するか、あるいは別の人に発言させるかしたときに行われるだけであった。もっとも上訴の際にはもちろん当事者双方の言を聞かれねばならなかったが。そしてケントゥリア集会の単純過半数が、事を決したのである。
 クリア集会では、一般に投票権のある人は完全に同等の権利を持っていたために、また全平民をクリア集会に受け入れた後は、完成された民主制に達するだろうと思われたので、政治的な採決がクリア集会から奪われたままであったこともよく理解できよう。しかしケントゥリア集会では、たしかに主たる影響力は貴族の掌中にになかったが、それでも財産家の手の中にはあった。先に投票する特権という重要な権利――事実上これがしばしば事を決した――は、騎士すなわち富裕者の掌中におかれたのである。『モムゼン ローマの歴史Ⅰ』テオドール・モムゼン 長谷川博隆訳 名古屋大学出版局 2005年 237頁


「ビールやワインはアルコールである」。表現は許されている( * 'organic')。蒸留装置は、ビールやワインから「アルコール」を抽出した。( *  'ether')。

 

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