紹介(12) 『祖国のために死ぬこと』 E・H・カントロヴィッチ e2

 グレゴリウス七世の時代以来ずっと、ある危険な観念が、教皇の政治理論に影響を与えていた。それは、教会と帝国を太陽と月で象徴させる理念である。大きさの違う二つの天体がともに天にあるということは、それ自体、王権と教権との関係を示唆するものであったが、この隠喩はさらに、月が太陽の反射光により輝くことから、月としての帝国が、太陽としての教皇より劣っていることを示すと考えられた。……ダンテに従えば、教皇と皇帝は、一方が大きな光を反射し、他方が小さな光を反射するといったものではなく、それぞれが異なる任務をもった、同等で同格の権力である。それらは、ともに世界を照らしながら、「聖なる神が人間に定めた」二つの目標―地上の至福と天上の至福―へと人類を導く「二つの太陽」であった。
……第二の太陽(アンヘリオン)の出現は、リヴィウスが語っているように、古代ローマ人にとり悪しき前兆であった。
『祖国のために死ぬこと』 E・H・カントロヴィッチ 甚野尚志訳 みすず書房 1993年 94頁

 

 image像は誰かの見たmaterial物である。例外はある。ナイフ、虎、小人は、不明に留まる。食卓ナイフで人を刺し、虎の斑がうねるのだろうか。あらゆる都に小人は住む。三本足と帚、束ねたメドハギ、三本脚の鼎で煮た犠牲の肉は、理にかなう。「賓客を迎えるには、急いで口に含んだ食い物を吐きだす」。中国は偉大である。屈葬、埋めた死骸を掘り返し、組み換え再度埋めて隠すという作業は、(ⅰ)甦りを防ぐ(ⅱ)より善く蘇る(ⅲ)散らかした骨を整えた。ほんやくこんにゃくを食べるドラえもんを見て、「ドラえもん以外は食べてはならない。状況により例外は生じる」と、わたしは考えた。

イザヤ書
(44:14)彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
(44:15)こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
(44:16)その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
(44:17)そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。
(44:18)これらの人は知ることがなく、また悟ることがない。その目はふさがれて見ることができず、その心は鈍くなって悟ることができない。

(45:15)イスラエルの神、救い主よ、まことに、あなたはご自分を隠しておられる神である

 

マタイによる福音書

(10:24)弟子はその師以上の者ではなく、僕はその主人以上の者ではない。
(10:25)弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるものならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう
(10:26)だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れこないものはなく、隠れているもので知られてこないものはない。

 

 外側と内側。上と下。懐と心。魂と記憶。単式簿記複式簿記

 開いて、閉じる。
 開いて、開いたまま一度として閉じず、閉じる。
 開きかつ閉じている。
 開いて、普段には閉じて居り、時々に開き、あるところに向けて常に開かれている。
 開きかつ閉じている何かという前提で置かれ、(「開いて」)開き、かつ、閉じて、居り、閉じる。……

 あなたが銀行にお金を預けると、帳簿には額面が記入され、あなたはお金を何時でも引き出せる。銀行はあなたのお金を減らすことなく、他の人にお金を貸し出す。「財産」「所有」「共有」「実質」は、「労働者」「奴隷」「妻」「子供」のように、文化により様々である。「利息」を禁止する宗教は少なくない。蓄財の手段は様々である。人々は自らの尺度を普遍化する。結果として、「(視覚的にまたは想像により)神を見る」「イエス社会主義者である」「トマス・アクィナスが利息と私有財産を肯定した」のような解釈が発生する。

 

 この関連で重要なことは、中世の帝国が「神聖なる帝国(サクルム・インペリウム)」と呼ばれ始めたのは、バルバロッサの時代以降であり、それ以前にはそう呼ばれていなかったということである。それゆえ中世史家ならだれでも、シャルルマーニュが八〇〇年に「神聖ローマ帝国」の皇帝として戴冠したという、教科書の誤った文章を読めば、なんとも言えない気持ちになるだろう。それはまさに、アレクサンドロスが大砲を使ったとか、カエサルが落下傘兵を用いたとかいうのと同じ時代錯誤的な言説なのである。ローマ法の述語において、「神聖な(サケル)」という言葉は、まさに「帝国の」という意味をもっていた。ただそれは、中世のラテン語では、よりキリスト教的で教会的な意味を含むものとなったであろうが、いずれにせよ、バルバロッサは「神聖な」という形容詞をローマ法から借用して、彼の「帝国」につけたのであった。したがって、800年のできごとをあらわすために、「神聖な」という形容詞を無批判に使うことは、シャルルマーニュの時代と新たな法学を背景としたバルバロッサの時代とがそれぞれ持つ特殊な雰囲気を、台無しにしてしまうことになるのである。 『祖国のために死ぬこと』 E・H・カントロヴィッチ 甚野尚志訳 みすず書房 1993年 82頁

 

列王記
(3:3)ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。
(3:4)ある日、王はギベオンへ行って、そこで犠牲をささげようとした。それが主要な高き所であったからである。ソロモンは一千の燔祭をその祭壇にささげた。
(3:5)ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。
(3:6) ソロモンは言った、「あなたのしもべであるわたしの父ダビデがあなたに対して誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだので、あなたは大いなるいつくしみを彼に示されました。またあなたは彼のために、この大いなるいつくしみをたくわえて、今日、彼の位に座する子を授けられました。 
(3:7) わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。しかし、わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません。
(3:8) かつ、しもべはあなたが選ばれた、あなたの民、すなわちその数が多くて、数えることも、調べることもできないほどのおびただしい民の中におります。
(3:9) それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。
(3:10) ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。 
(3:11) そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、
(3:12) 見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。 

 

……そしてペトラルカがここで、彼の友人である王以外の人間によっては裁かれないといったように、ダンテもまた、すべての人間をさばく主権者の力を自分がもつと考えていたのである。ちなみに、「霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません」(『コリント前書』二章十五節)というパウロの定めは、教皇によって「教皇はすべてを裁く」という意味で独占的に解釈され、のちに、主権保持者の大権を導くことになるが、ここではそれが、その文字どおりの意味で理解されたと思えばよい。すなわち、霊的な人間一般、聖霊に満たされた真の「霊の人(プネウマティコス)」は、聖霊をはらむことで、それぞれが主権をもつといえるので、だれによっても裁かれえないと。じっさい聖霊(プネウマ)は世俗化され、人の裁きを超えた「才能」によっておきかえられた。しかしそこでもなお、天上からの霊感が存在する。そして主権者に「職務によって」与えられた法的な大権が、「才能によって」君臨した真のルネサンス的支配者、そして芸術家や詩人に受け継がれていくのはよく知られた事実である。 『祖国のために死ぬこと』 E・H・カントロヴィッチ 甚野尚志訳 みすず書房 1993年 132頁

 

 

 これまでしばしば言われてきたことであるが、中国の独特な栄光は、(法家の没落後)その全史を通じて、法が、きわめて明白な倫理原則と考えられた事柄に基づく慣習と密接不可分に結びついたままであったこと、そしてまた、実定法の制定が、
その法典編纂とともに最低限に抑えられたという事実に存在するのである。『中国の科学と文明 第二巻 思想史 上』 ジョゼフ・ニーダム ――訳 思索社 1991年 245頁

 

 言語は体系を具えつつ発展する。発展した全ての言語は世界を包摂ー複製する。或る言語と他の言語との比較において、或る言語はautonomy自動性ーself-reliance自立性から、諸対象の分節をoverlap重ねる。生じた分節は、自動性から任意とは表現できず、或る言語の限界を示す。所謂、nature自然、person人、human(s)人間(人類)は様々である。近代以降human-humans人間は、person人に対してretoroactive遡及的な概念として置かれる。

 

 プラトン学派、および、ユークリッドは視覚は眼から出る光線により得ている、と考えた。必ずしも人に限らない魂的な何かと関わる影の象徴は古く、古代ギリシア、ローマでも散見される。魂の軽重、小人型の魂、魔法使いに掴まった魂の記録は多い。堕胎を助ける魔女なら魂の目方を量りそうである。フランス出身のドイツ詩人、アーデルベルト・フォン・シャミッソーは影を売ったペーター・シュレーミールを描いた。約二百年後にドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデはより魅力的に、意識して作品に表現している。太陽は黄色、金色、白、橙、赤である。月の色は銀、白、青とも表現された。ギリシア人はカオスに対するコスモスに現実を置いた。

 

グレゴリウス7世(1020~1085)

ハインリヒ4世(1050~1106)

フリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)(1050~1106)

Sancta Ecclesia聖なる教会

Sacrum Imperium Romanum神聖ローマ帝国

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