紹介(9)『祖国のために死ぬこと』 E・H・カントロヴィッチ 

 ……予兆の鳥である。多くの書物で不吉でずる賢い鳥として描かれている。
 『コーラン』には、烏は死と関わりのある動物として一度だけ登場する(5章31節)。神は罪を犯したカインに、弟の亡骸を埋葬する方法を示すために烏を遣わしたのである。「神は、一羽の烏を遣わして、地を掘らせ、弟の死体を隠す方法を彼に教えた。彼は言った。〈何と情けない。この烏のように弟の死体を隠すこともできないのか〉」。『イスラーム・シンボル辞典』 マレク・シェベル 前田耕作監修 甲子雅代監訳 明石書店 2014年 90頁

 

気候はいくらか言語に影響するだろう。杉はcederであり生活するenvironment環境によるが、子音mや母音oを発音の核に据えるのは歪んだ感性だろう。感性といわれる何かには共通の部分が有りそうである(common sense?)。スイス人、カール・グスタフユング集合的無意識に関わる。鳥が自由かについては、ビーバーにダムを造る権利を認めるかと同様である。「大空に翼を広げ」である。人のしがらみ如きならば、飛び越え、または、潜り抜けてしまう様に見える。イスラム教は遊牧民族、境界的なアラビア人から発生した。商人の宗教に置かれた鳥の象徴は、半ば自らを/自らの半ばをprojection投影を受けている。

 

死海にハエは住んでいる」。死海に住むほどだからハエは逞しい、だろうか。ウナギは泥から発生し、枯れ木に灰をまけば花が咲く。鯉は竜になり、巨人が炎の剣を投げれば地は焼け、新しい緑が芽吹く。「people respond to incentives人々は誘因に反応する」より真面である。真面目に考えれば、鏡を不思議気に見入る猿の群れである。預金通帳に突っ伏し残高が増えれば苦労はない。人々は食事を食べる。人々は排泄物を排泄する。てこにはてこの原理が働いている。火は燃焼する。人は光を見る。時計は時間を刻み、時計の時間の速度は速い。

 

原始的な社会共同体、閉鎖した共同体、自然への我等の不能力が意識に置かれている。自然から思想として、principle理 がbe extractded抽出される。相同な各思想を一般化し、傾向として表すなら、「(自然(の斉一性)から)人間一般は自然と調和できる」と解釈できる。当然、初期儒教のように、既に成立している慣習により肯定的な思想は生じる。自然の斉一性のみによる解釈は自然法と実定法を不分離に留め置く。

 

集団の労作が強調される。多くの者が招かれる。だれが裁かれ、だれが選ばれるか不明である。人間は習性として悪く禁止されたことを為す。言葉を歪曲し、富の保証がないと不安になる。富は悪人に寄付を唆す。出身に関わらず、機会は平等で自由と述べて恥ない。教会は病人の集まりである。悪は子供のように行わねばならない。

 

男性は図に乗り言語に絶するほどに愚かである。もののわかる方なら否定しないだろう。言語を絶するのが男である。女性神学やフェミニズムからの批判は正当に見える。性からの分業は有意義である。何かを疑い盲滅法に突き込むのは時代を問わず、男性である。性差の扱いは文明の発展に伴い変化する。婚姻関係にある男女において、労働の必要性や資産の保有、相続の方が男女の社会的格差に重要である。父権制母権制という言葉は濫用されている。社会制度の急激な変革、ある社会階級の台頭は、その集団が採用する思想を社会全体に一般化する。

 

(ⅲ)特定の共同体と差異を有する、属する特定の共同体が意識に置かれた(/置いている/置かれ続けている)。organic有機的、representation表象、imagination想像が重要になる。神は民族、言語、土地を選ぶ、言い換えれば、我々を選ぶという思考となる。後期道教スピノザ、理神論の様に汎神論的な世界を形成する場合がある。部分ー全体の超越と否定から、神は選ばないという思考となる。貿易の中継地点、金融を要因に、富は蓄えるべきとされる。

 

(160)くしゃみは、房事と同様、霊魂の全機能を吸収する。しかし、人はそこから人間の偉大さを否定する同様の結果を引き出しはしない。なぜなら、くしゃみは、意に反して出るものだからである。
(897)僕は主人のすることを知らない。主人が彼に用事だけを言いつけて、目的を示さないからだ。そして、これこそ僕が盲目的に従い、しばしば目的にそむくゆえんである。しかし、イエス・キリストわれわれに目的を示された。だのに、あなたがたはその目的を破壊している。 『中公パックス世界の名著 29』 「パンセ」 ブレーズ・パスカル 前田陽一、由木康訳 中央公論社 1978年 

 

 ウタース'utâs'。ムハンマドMuhammad(570頃ー632)は、最も真正な話はくしゃみをはさんで語られたものだといったとされる。なぜなら神はくしゃみを好むが、あくびを嫌う」からであり、あくびは悪魔の仕業なのである。
 このようにくしゃみは神の真理の側にあり、マグリブ北アフリカ)では予兆である。民間信仰では、くしゃみをするとジンjinnが飛び出して散り散りになると信じられている。ジンはくしゃみをする者の体に落ち着いていられずに、くしゃみと共に体から離れるのである。『イスラーム・シンボル辞典』 マレク・シェベル 前田耕作監修 甲子雅代監訳 明石書店 2014年 123頁

 

schole/otium暇の解釈、想起する印象を考えねばならない。人間は発展に伴い不可逆的にnecessity必要を増やす。不可逆的な必要の増加が発展である。最低限の生活という表現は空虚である。哲学者、経済学者の合理性と必要を突き詰めるなら死なねばならない。共同体は成員の反復行為に基づいて構築し、共同体の有する富を消尽すべきでない。苦しむための苦行は意味がなく、労働の疲れと愉快、不愉快は問題ではない。

 

……アッラーは「創世記」の神(天地を六日間で創造し、七日目に休息した)とは異なり、「しかしわれは疲れも感じることはなかった」(50章38節)のである。 『イスラーム・シンボル辞典』 マレク・シェベル 前田耕作監修 甲子雅代監訳 明石書店 2014年 123頁

 

それゆえ、キリストの神秘体という観念は、――この観念の普遍的な意義と最終的な影響力はどれほどこれを評価しても、そう容易に評価しすぎることにはならないのであるが、――このように教義と典礼にの領域に起源を有している。カロリング朝神学者が用いる言葉として、「神秘体」が教会の体を意味するようなことは全くなく、またそれはキリスト教社会の単一性や統一性を意味する者でもなかった。むしろそれは、聖別された聖体(ホスティア)を意味した。
……聖別されたパンは、いまや意味深長な仕方でキリストの〈真の体〉(corpus vertum)ないし〈自然の体〉(corpus naturale)、あるいは単に〈キリストの体〉(corpus Chiristi)と名づけられ、……従来までは常に聖体を意味していた〈神秘体〉の観念が――一一五〇年以降――次第に、聖餐台の秘跡において統合されるキリスト教社会の組織体たる教会へと移されていった。要するに、元来は典礼ないし秘跡上の意味を有していた「神秘体」表現が、社会学的な内包の意味合いをもつに至ったのである。そして最終的に、ボニファティウス八世が「キリストを頭とする一つの神秘体」として教会を定義したとき、この言葉は、このように比較的新しい社会学的な意味において用いられたのである。 『王の二つの身体 中世政治神学研究』エルンスト・H・カントローヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年 205頁

 

出エジプト記
(7:1)主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたをパロに対して神のごときものとする。あなたの兄弟アロンは、あなたの預言者となるであろう。
(7:2)あなたはわたしが命じることを、ことごとくかれに告げなければならない。そしてあなたの兄弟アロンはパロに告げて、イスラエルの人々をその国から、去らせるにさせなければならない」

 

 霊的な神聖さと世俗的な神聖さの二元主義がローマ法によってのみ生み出されたと仮定するのは誤りであろう。専門用語としての「聖なる帝国」という言葉は、ユスティニアヌスに由来する。……初期中世のキリスト中心的な王権の特色は、「キリストの代理人(ヴィカリウス・クリスティー)」という支配者の称号にまさに表現されている。そしてこの称号は十三世紀になると、しだいにまれにしか用いられなくなり、「神の代理人(ヴィカリウス・デイ)」という称号にとって代わられることにより、完全に消え去るのである。 『祖国のために死ぬこと』 E・H・カントロヴィッチ 甚野尚志訳 みすず書房 1993年 85頁

 

地上の慣習法を司る支配者(祭祀、王、僭主、議会)は裁かれない。預言者は王と対等と主張する。対等な者との対話という理解のないところで奇跡が求められた。ムハンマドモーセを意識に置いていた。イスラムシーア派において、ムハンマドとアリーの関係は、モーセとアロンの関係をなぞるとされる。イエス・キリストは神の子である。

 

代数学が発展しつつあった。魔女狩りと刑罰の残酷さは民衆によって望まれた。対立教皇が「月の教皇」と呼ばれたように、「教皇は太陽である」という表明の価値は増す。「教皇教皇である」では、人々は納得しない。比喩、類比はとても難しい。世俗の慣行を変化が緩慢なのは正しい。教理が拡張せず、拡張した教理が間違いであるというのはpartial偏狭である。

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