紹介(11) 『燃えつきた地図』 著:安部公房 o2

「コーヒーをかけてしまったの。あれは、おとといだったかしら? そうね、弟の告別式があった日……そうよ、あなたが寄っていらっしゃった、あのすぐ後ね……コーヒーの染みは、なかなか落ちないのよ……それで、クリーニングに出しちゃったの……誰かと話していたら、その人が、どうしてもコーヒーを飲みたいと言ってきかないでしょう……コーヒーを入れたまでは、よかったんだけど、搬(はこ)んでいったら、いきなり後ろからくすぐるんだもの……」
 とつぜん、吐き気が込み上げてくる。激しい痛みが、眼球の裏から、放射状にひろがって、頭蓋骨の裏で反射し、項(うなじ)のへんに焦点を合わせて、喉の奥をしめあげるのだ。
「またご主人の夢ですか、そのお相手は?」
「そうね、くすぐったところをみると、そうかもしれないわね。」
「前のレモン色のカーテンの方が、好きだったな。」
「二、三日もすれば、返ってくるわ。」
「あと五十八時間ですよ。まる二日と十時間……調査以来の契約が切れるまでに……一週間といっても、日曜日を抜いて、週六日の計算ですからね。」
「私、勤めに出るわ。平気よ、そんなこと……」
 吐き気がますますひどくなる。胃が、ひんやりと、ごみや埃をねり込んだ、粘土のように重くなる。 『燃えつきた地図』 安部公房 新潮文庫 昭和55年 287頁

 

 レクス・レギアの解釈に二つの可能性があること、すなわち、これを人民主権の基礎として解釈することも、また国王の絶対主義の基礎として解釈することも可能であることはよく知られており、ここでこの論点を考察する必要はないだろう。ユスティニアヌス法典の『法学提要』やこれ以外の箇所でレクス・レギアは次のような主張、すなわち法が制定される仕方には他にも多数存在するが、「また、君主が好むことも法として効力を有する」という主張を強化するために引用されている。
ところがユスティニアヌス法典には、レクス・レギアが一般的に皇帝への完全で永久的な〈移譲〉〈translatio〉を意味するのか、それとも個人として特定の皇帝への限定され取消し可能な〈認可〉(consessio)を意味するのかが明確に述べられておらず、このかぎりで矛盾と両義性がここに見られるのである。 『王の二つの身体 中世政治神学研究』エルンスト・H・カントローヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年 126頁

 

なるほど心うごかされもしよう、お前たちのような男ならな。みずから人に哀願し、その心を動かそうとする男なら、また人の哀願によって心を動かされもしよう。が、おれは北極星のように動かない。その確乎不動なること、満天の群生中、他に比類なきあの星のようにな。大空は無数の閃光にちりばめられている。そのどれもこれも火の塊だ。一つ一つが明るく輝いている。そのなかにあって、おのれの場を守って動かぬものはただ一つしかない。この地上においても同じことであろう。そこでは、人間の数にことかかぬ。誰しも血肉をそなえ、理性をもっている。しかも、その数多きもののうち、おれはただ一人しか知らない。何人の手を触れ得ず、その高き地位を守って動じぬ存在は。おれがそれだ。『ジュリアス・シーザー』 ウィリアム・シェイクスピア 福田恒存訳 新潮文庫 昭和43年 64頁

 

マタイによる福音書
(2:9)彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼子のいるところまで行き、その上にとどまった。

 

 ローマ人のローマ皇帝は動かない。太陽は昇っては沈む。教皇の皇帝は欠けて満ちる。地球は太陽の周りを廻り、太陽系は移動している。共和制ローマ帝政ローマの異同については省く。無論、二分法が役に立たないのは疑い得ない。古代ギリシア人は複数のポリスを形成した。演説は大きな影響力を持ち得た。弁論術、修辞法は人々に評価された。神話と天体の運行は古代ギリシア社会で重要な役割を持った。古代ギリシア人はPsyche魂/精神を持っている/保有する。奴隷と女性には、理性ー魂が欠けている。古代ギリシアでは、oxymoron撞着語法(ーcircularlogic循環論法(/self-contradiction自家撞着))、言い換えれば、輪廻転生は大いに振るう。また、self-contradiction自家撞着は、contradiction?とは限らない。占有ではなく、事実行為がないためである。

 

 ピタゴラス教団、僭主の言動として記録される通り、神々の生まれ変わりを名乗る、讃辞を受ける古代ギリシア人は少なくない。同じ記憶を持つ主体の徒党が形成されたら、行儀が悪いと感じても、当該徒党は差し当たり、評価を受ける。話合いで解決しようとしない、正面から武力衝突を避ける試み(ーfolmalities手続き)を持たない社会は、より複雑な環境にこそ現れる。主体が増えれば、衝突を避けない事に利益を見出す或る主体、可能性を持つ主体は形成される。

 

 抵当権は、避けている/避けられた殴り合いと、逃亡を見据えた自然な考えである。中国、アジアの都市において、抵当(?準)は受け入れられる。体制と特定の組織による暴力の独占が為されていても、抵当(権)は十全に効果を持ち得る。ところで、譲り合えない物ーsituation状況が生じたとき、コイントスで決めよう、というのは、我々のnatural自然な、然もなければ、adequate妥当なcommon共通の考えである。

 

 ホメーロスは『オデュッセイア』において、怪物キュクロプスは妻子を持っている、と描いた。怪物キュクロプスは不死身ではなく、succecssion継承は不明だが、generation世代には従う。ポリスは、同じ記憶と系譜を持つ地域集団である。内部の連帯の強さが要である。問題は緊密さの程度である。ポリスに依存する成員にとって、内外との緊密な関係relation関係は根本的である。奴隷と主人の間に緊張がある。困った事に、奴隷はギリシア語を理解し、奴隷仲間と会話する。牛馬には生じないリスクである。奴隷による主人の不正の暴露が発生する。

 

 系譜は人を平らかにする。輪廻転生は割込み、始めへの割り込みとなる。明らかに、行儀の悪い振る舞いである。行儀が悪いから何だろう。ギリシア人は平行線が交わらない事を素朴に、かつ、厳粛に受け入れたに違いない。hypothesis仮説の問題は、神話化の可能性である。古代ギリシア人が北欧のサガ、繰り返す終末と再生の物語を知ったら、拒絶はしないだろう。しかし、ウーラヌスとクロノス、ティーターンとオーリュンポースの神々を連想させる。複数のポリスに分かれている。ギリシア人はギリシア人である。ギリシア人が、ギリシア人を奴隷にするのは、好ましい事ではない。

 

 イマニュエル・カント、フリードリヒ・ヘーゲルらの哲学には、マケドニアアリストテレスの著作の強い影響がある。ドイツ地域、つまり、ローマとギリシアからの絶妙な位置、神聖ローマ皇帝と領邦君主を含む政治的状況である。神聖ローマ帝国とは、ドイツ人のimperium帝国である。何かの間違いで、ローマとイングランドがドイツになる怖れはなかっただろう。sense感性、understanding悟性、reason理性の循環は、循環の軸に特定の個人のmemory記憶がある。memory記憶、knowledge知識、experience経験、information情報といった言葉の由来とtranstions遷移は重要である。

 

 ローマ・カトリックの哲学ー神学は、アリストテレスの影響を受けた。人間の収集欲と冒険欲の表出した博物学、また、religious宗教を超越して理性へのrely on/depend on依存を標榜する啓蒙主義は隆盛である。現在の形式科学、自然科学、社会科学が同一の社会階級、または、特定の人に掛かりつつ、総称としての学問は加速しつつ発展している。活版印刷は普及して久しい。小難しい事に夢中になると、何だか記述行為は委任ー事務管理を思わせる。寄託かもしれない。記憶の外部化、記録媒体に依存する部分が増えていく。

 

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