紹介(12) 『燃えつきた地図』 著:安部公房 o2

ルカによる福音書
(7:36)あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
(7:37)するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓についておられることを聞いて、香油が入れてある石膏の壺を持ってきて、
(7:38)泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
(7:39)イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。
(7:40)そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。
(7:41)イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。
(7:42)ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが多く彼を愛するだろうか」。
(7:43)シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。


 難しい、わたしには判らなかった。(unidentified不特定な)特定の人間が複数の人間を評価する、更に、estimate評価に応じてqualification資格を与える、というのは厄介な問題である。fair公平/市、手続きの簡便さは尺度を定めさせる。現代において、定量化し易く或る社会的に有意とされるだろう属性は少ない。然もなければ、学術機関の制度、施設は整備され、より洗練されたものになっていただろう。知性の優劣を定めて量とする/量として定めるのは、知性の目的が定まっている様に見えても、誰かが定めたとしても難しい。資格と経歴を授ける機関は増殖する。議会の被選挙人資格を含め、regulation基準/制限に、年齢が置かれる。あらゆる文化で年齢が、資格ー制限ー評価の混交として利用された。判じ難い能力より、成員間の利益の混線に重きを置いたと考えられる。成員から疎外されたところで、固有の時制を持つのが、社会共同体の独立性のpremise前提ーcondition(s)条件だった。わたしは、つまり、私見では、恰幅と知性は比例しないと考える。往時、恰幅と度量は比例したのだろうか。

 

マタイ福音書
(6:33)まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
(6:34)だから明日のことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

 

しかし、他のすべての商品を排除する二つの商品は、互いに排除し合う。だから、銀と金とが法律上貨幣として、すなわち価値尺度として並存する場合に、それらを一個同一の物質として取り扱おうとするむだな試みが、たえずなされてきた。……両金属が法定の価値尺度であり、両方が支払で受け取られなければならないが、しかも各人は任意にどちらででも支払いうるような国々では、価格の上昇する金属は打歩を生じ、他のどの商品とも同じように、過高評価された金属でその価格を測るのであって、この後者の金属だけが価値尺度として役立つのである。この領域でのすべての歴史的経験は、簡単に、法律によって二つの商品が価値尺度の機能をあたえられている場合には、事実上つねに一つの商品だけが価値尺度としての地位を保つ、ということに帰着する。58頁

……商品としての使用価値の定在が象徴でないのと同じように、貨幣も象徴ではない。……価値章標は、直接にはただ価格商標であり、したがって金章標であり、ただ回り道をして商品の価値章標であるにすぎない。金はペーター・シュレミールのようにその影を売ってしまったのではなく、自分の影で買うのである。だから価値章標は、過程の内部で一商品の価格を他の商品にたいして代表し、あるいはどの商品保有者にたいしても金を代表するかぎりでだけ作用するにすぎない。……慣習(強制通用力))……強制通用力を持つ国家紙幣は価値章標の完成された形態であり、金属流通または単純な商品流通そのものから直接生じる紙幣の唯一の形態である。信用貨幣は社会的生産過程のもっと高い部類に属するものであって、まったく別の諸法則によって規制される。象徴的紙幣は、実際には補助的金属鋳貨と全然違うものではなく、ただもっと広い流通部面で作用するだけである。価格の度量標準または鋳造価格の単なる技術的発展と、さらに金地金の金鋳貨への外面的な変形とは、それだけで国家の干渉をひきおこし、それによって国内流通が一般的商品流通からはっきり分離したのであるが、この分離は鋳貨の価値章標への発展によって完成される。単なる流通手段としては、貨幣は一般にただ国内流通の部面内においてだけ独立しうるに過ぎない。
……以上に述べたことから明らかなように、金実体そのものから分離された価値章標としての金鋳貨定在は流通過程そのものから生じるのであって合意や国家干渉によって生じるのではない。96頁
マルクスエンゲルス全集13 経済学批判』 武藤一羊訳 大月書店 1964年

 

(82)歴史を科学的に基礎づけようと望むブルジョワジーの時代は、融通無碍なこの学自体が歴史的にはむしろ経済によって築かれたはずであることを無視する。歴史が科学的知識に根本的に依存するのは、単に経済史に限ってのことでしかない。

(87)……しかし、マルクスは、ボナパルティスムのなかに、資本と国家との融合と「労働に対する資本の国民力、社会的隷属のために組織された警察力」の政体の上に成り立つこの現代の国家的官僚主義を既に素描していた。そこでは、ブルジョワジーは自分たちをモノの経済史に還元しないような一切の歴史的生を放棄し、「他の階級と同じ政治的虚無を宣告されること」を自ら進んで願い出る。
(145)資本主義の発展にともなって、不可逆的な時間は世界的に統一される。全世界がこの時間の発展の下に集められることで、普遍的な歴史が一つの現実となるのである。だが同じ時間に世界中どこでも同じであるこの歴史は、まだ歴史の内部での歴史の拒否でしかない。経済生産の時間が、均等な抽象的断片に細分されつつ、一つの同じ太陽のようにしてこの惑星全体の上に出現するのである。統一された不可逆的時間とは、世界市場の時間であり、その必然的帰結として、世界的スペクタクルの時間となる。
(146)生産の不可逆的時間はまず何よりも、商品の尺度である。それゆえ、世界のあらゆる場所で社会の一般的時間として公式に認められている時間は、それを構成する専門化された利害を意味するだけの、特殊な時間でしかない。『スペクタクルの社会』 ギー・ドゥボール 木下誠訳 2003年 

 

 だが、この純粋時間が覚醒だとすれば、すぐまた夢のつづきが、立ちふさがる。料金所。短い人口の覚醒のあとの、長い夢のつづき。すぐに折り返して、今度は上り線に乗り入れる。しかし、どういうわけか、もうさっきのようには、うまく気分がのってくれないのだ。赤いスポーツカーが、軽いうなりを残して、ぼくの車を追い越していったためだろうか。そんなことより、やはり、引き返しているのだという意識、引き返すしかないのだという虚しさが、はずんでいたゴムボールの空気を抜いてしまったのだろう。太陽を背にしたという関係もあったかもしれない。こんどは、道よりも空のほうが圧倒的に広かった。いくぶん雲が出て来たようだが、それでも青さが、糊のきいた綿布のように、ぴんと張りつめている。遠近法のせいか行く手の空に雲が集まり、多少くろずんでいる。その影になった空の下に、街があるのだ。 『燃えつきた地図』 安部公房 新潮文庫 昭和55年 184頁

 

 定めている場合に一人称を用いる。定めていない場合に二人称を用いる。特定している場合に三人称を用いる。彼は迷路に迷っている。わたしたちは迷路を探している。我々は塵であり、確かに彼である。人は召命を受けて神父に成る。救済の確証のために神父に成るのではない。11世紀に活動したイスラム教徒のガザーリーは、神学と世俗の人々を遠ざけようとした。晩年のトマス・アクィナスは、彼が記した著作の空しさを疑っている。

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