紹介(13) 『黄金伝説』 ヤコブス・デ・ウォラギネ 

ヨハネによる福音書
(4:43)ふつかの後に、イエスはここを去ってガリラヤへ行かれた。
(4:44)イエスはみずからはっきり、「預言者は、自分の故郷で敬われないものだ」と言われたのである。
(4:45)ガリラヤに着かれると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。それは彼らも祭に行っていたので、その祭りの時、イエスエルサレムでなされたことをことごとく見ていたからである。
……
(18:38)ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。
(18:39)過越しの時には、わたしがあなたがたのために、一人の人を許してやるのが、あなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか。
(18:40)すると彼らは、また叫んで「その人ではなく、バラバを」と言った。このバラバは強盗であった。

 

 王を〈キリストの形象〉(typus Christi)として宣言するために到る所で使用されたのは、キリスト範型論的な言語であった。事実、この範型論は、王位に内在する、一つの存在論的で他の一つは機能論的な二つの様相を包摂するものであり、これら二つの様相は中世の支配者を讃美するために非常にしばしば用いられた、「キリストの似姿」および「キリストの代理者」という栄誉ある称号に反映されている。前者の呼び方が、おそらくは王の〈存在〉のあり方をより強く指示するものであるのに対し、後者は王の統治機構を法的な仕方で強調し、王の〈行為〉のあり方を第一次的に指し示している。
……すなわち地上のあらゆる王権の人的かつ神的原型たるキリストの二つの本性に対応した〈双生の人格〉として立ち現れる事もありえただろう。しかしそれにもかかわらず、「キリストの似姿たる王」(rex imago Christi)とか「キリストの代理者たる王」(rex vicarius Christi)といった盛期中世の呼び名が消失し、「神の似姿たる王」(rex imago Dei)「神の代理者たる王」(rex vicarius Dei)といった呼び名に取って代わられるに及び、王がキリストの本性に対して有する純粋に潜在的な関係さえも次第に見失われていった。 『王の二つの身体 中世政治神学研究』 エルンスト・H・カントローヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年 113頁

 

 列王記
(3:11) そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、
(3:12) 見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。 
(3:13) わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。
(3:14) もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。

 

 ある外典史書によれば、イェルサレムにルベンともシモンともよばれる男がいた。……そこで子供を葦であんだ小籠に入れて、海に流した。波はその小籠をイスカリオテという島に打ち寄せた。ユダは、のちこの島にちなんで〈イスカリオテのユダ〉とよばれるようになった。……王妃はユダをしばしばひどく殴った。しかし彼は悪行をやめなかった。しまいに、王妃は、ユダに、彼が棄て子であって、王妃の本当の息子でないことをしゃべってしまった。ユダはこれを聞くとひどい屈辱をおぼえ、その場を立ち去ると、国王の子どもである義理の弟を殺害した。……こっそりイェルサレムにのぼり、総督ピラトの官邸にやとわれた。……しまいに、ユダは、ルベンの首すじを石で殴りつけたので、ルベンは死んで息子のまえにころがった。……そこでピラトはルベンのものであったすべての財産をユダにあたえ、おまけにキュボレアをも妻として彼にあたえた。……こうして、ユダは、自分の父親を殺し、母親を妻にしたということ明らかとなった。
 ……とうてい信じられないどころか、むしろ拒否さるべき話だとおもわれるけれども、これをどうとるかは、読者の判断にゆだねておく。『黄金伝説1』 ヤコブス・デ・ウォラギネ 前田敬作・今村孝訳 平凡社 2006年 461頁

 

「読者の判断にゆだねておく」。

メディアの王、アステュゲスは不吉な夢からその娘、マンダネの子を殺すようハルパゴスに命じたが、王の心変わりを恐れ、牛飼いのミトリダテスに処分を押し付けた。後に王アステュゲスはこの事実を知り、ハルパゴスの一人息子を王宮に呼び寄せる。王は宴会にハルパゴスを呼び寄せ、ハルパゴスに料理を与えた。親が、子が膠着した肉の塊として存在している事を嘆くならば、親は、子が骨を備えている事を期待した、と見ねばならない。

 

ギリシア神話のクロノスは子に権力を奪われるという予言を信じ、生まれた子を腹に納める。ローマ神話の農耕神サトゥルヌスは、ギリシア神話のクロノスに相当するとされる。スペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤは1819年から1823年の作品にはサトゥルヌスが絵の題材に用いられた。十字路、辻に人は危難と希望を期待する。辻は広場に成り得る。橋では、敵、仲間に相対する。ジェームズ・フレイザーは、著作『金枝編』にイタリア、ネミの王殺しを描いた。逃亡奴隷がヤドリギの金枝を折り、森の王を殺し、森の王となる。

 

吟遊詩人は旅をする。奴隷は逃亡する。香具師の集団は、どの地域でも見られた現象である。行商人は街から街へと移り歩く。ドイツにおいて職人が流浪した。明治期の日本で、職人は各地を渡り歩いた。泡と芥は波に揺られ波に飲まれて海に漂う。

 

刺青は皮に外を貼り付ける。服を着るより効率的である。社会が抱えられない何かが外へと流出する。何かとは、余剰、突出、医療、罪人、魔術と神秘、出産、死、現象の再現の否定、特殊化と例外処理 である。社会が抱えざるを得ない外の何かには、印をつける。印とは、奴婢の刺青、家畜の烙印、酒と薬と装身具、stigma、死、命名、特殊化と例外処理 である。

 

「霊」、「魂」、「息」の、外的と内的が、記憶喪失、脳死安楽死の扱いを決める。肉体、または、魂(らしきもの)に名前を付けたのか、接続された肉体と魂(らしきもの)に名前を付けたのかは社会共同体の置かれた環境から理解される。essence本質は、origin性(/起源)ではない。property性質(/保有)は、attribute属性(/持物)ではない。

 

精神と物である肉体、面(首)と胴体の切除、領域からの追放、資格の剥奪が、社会の安定に必要である。英国、日本では、逃げ場が少なかった。ならず者、あぶれ者、はぐれ者は、外に(/を)漂う。迫害された者は徒党となり、徒党から利益を得ようと目論む。商人、野盗は、拠点の重要性を知る。ならず者たちは、大袈裟に振る舞い傾く価値を知っている。日本において、舞台に立つ役者は雅号を持った。

 

消えないならず者とは、永久の墨家水滸伝、終わらないスパルタクスの反乱である。後につづく集団は劣悪になりがちなことは、人の世の常である。(極)個人的な来歴と、境遇、complexは継承できない。

 

労働組合とは、労働力を今少し高く売り捌くための団体である。今少しとは、互いにirrational無理と言わないところまで、である。主体と感情の混同である。犬は蹴られれば悲し気に鳴く。悪人は共犯作りに長けている。

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