紹介(14) 『黄金伝説』 ヤコブス・デ・ウォラギネ 

……「キリストは、天から地にご降臨になったので、頭を上にした十字架におあがりになった。しかし、わたしは、地上から天へ行くにあたいするとされたわけだから、わたしの頭は地にむき、足は天にむくようにしてもらいたい。つまり、わたしは主とおなじ恰好で十字架にかけられる値うちがないのだから、どうか十字架をさかさまに立て、頭が下になるようにしてほしい」それで、十字架をさかさにし、足を上に、手を下に向けて釘けられた。
……「主よ、わたしは、あなたにしたがい、あなたにまねぶことをのぞみましたが、頭を上にして十字架にかけられようとはのぞみませんでした。頭を上にして、高くまっすぐ立っておられるのは、あなたおひとりです。わたしたちは、頭を地に垂れていたアダムの裔です。アダムの堕罪は、人間が生まれたときの有様によくあらわれています。わたしたちは、頭を下にしてこの世に生まれおちてくるからです。こうして、わたしたちの本性は、変わり果ててしまい、この世では、黒いものが白いとおもわれるようになりました。主よ、あなたは、わたしのすべて、わたしの全部です。わたしのすべてであるあなたのほかに、わたしにはなにもありません。わたしは生き、理解し、あなたに祈れるように全霊をあげてあなたに感謝いたします」 『黄金伝説2』 ヤコブス・デ・ウォラギネ 前田敬作、今村孝訳 平凡社 2006年 391頁

 

そして、クリュニュー修道院の修道士が〈すなわち、天使的にして人間的な〉(angelicus videlicet et humanus)存在と言われたときも、これは単に偶然に選び取られた比喩以上のことを意味していた。というのも、修道士は、依然として現世において肉体を有しながらも、天上の存在者の〈天使的生〉(vita angelica)を例証すると主張されていたことを、我々は想起すべきだからである。『王の二つの身体 中世政治神学研究』 エルンスト・H・カントローヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年 73頁

 

 ギリシアヘラクレスも、イタリアでは夙に、ヘルクルス、ヘルコレス、ヘルクレス(Herclus,Hercolos,Hercules)という形で土着のものとして、また独特なやり方で捉えられており、どうやらまず第一に、冒険による利得、また並はずれた財産増大の神だったらしい。そのため、将軍によって、獲得した戦利品の十分の一が、また同じように商人によっても、稼いだ財産の十分の一が、牛広場のヘラクレスの主祭壇(ara maxima)に奉納されるのが習いであった。ヘラクレスはしたがって、主として商業上の契約の神になっていた。契約は、古い時代にはしばしばこの祭壇のもとで結ばれ、宣誓によってそれが保証されたのである。そしてこの神は、そのかぎりでは信義の神(deus fidius)という古いラテン人の神と重なることになったヘラクレス崇拝は早い頃に、最もよく広まった神崇拝の一つになっていた。この神は、一人の古い作家の言葉を借りれば、イタリアのどんな場所でも崇拝の対象となっており、町々の露地でも、街道沿いの地でも、いたるところにそのほこらが立っていた。『モムゼン ローマの歴史Ⅰ』テオドール・モムゼン 長谷川博隆訳 名古屋大学出版局 2005年 165頁

 

id est scilicet videlicet。おそらく、則ち、乃ち、即ち、だろう。常に瞑想するとは贅沢である。修道院の修道士の静かな生活は、社会的な役割を持ちえた。おおよそ、社会学者の様な役割である。神秘家の反り返りは、瞑想と不可能な神との合一は、人間に行為を示さない。行為の模範はイエス・キリストとなる。人はだれかを模倣しなくてはならない。

 

The Circumlocution Office迂遠省。

文化とは、ある土地に蓄積した行為の模倣、模倣の結果、限界に沿った遠回りである。人間はsituation状況に従い、行為の正当性を模倣から引き出している。ギー・ドゥボールは状況の構築を目指した。子は父に倣うものである。父が父と限らないことを知り、子は戸惑う。役割が連続的だった時代はあった。新たな土地で、文化を形づくっていこうとする集団:アメリカが、宗主国からの解放を求めたのは疑いない。

 

「わたしの選好に__要因はあるか」。子供の頃に何かあったのだろう。人は育ち、既に、短絡的に、自らの利益に繋がる事しか聞かない。ムハンマドは商人である。「自らが好ましい物は、他人も好ましく感じなければならない」というのは滑稽である。「自らが好ましい物は他人も好ましく感じなければならない」を叶えなければ商人として成功しない。旅人、商人、芸術家、盗賊は、自らをliberal自由人(/教養人)と認める。自ら、「自ら」を認め、自らと共に認め合う、徒党として寄り集まる。

 

社会(共同体)において、物を捉える事と、物(事)を定めるのは異なるとすることは可能である。より素朴に同じとする思考は可能である。フランス、ピカルディの法律家の息子、ジャン・カルヴァンは1509年に誕生した。ジャン・カルヴァンの出生はceratain確かである。確かだろうか、本当に。実証しなくてはならないか。

 

「実証を要する」、としてもよい。「わたしは満足である。これだけ証拠があれば」。「わたしも満足です。これだけ証拠があれば」。「我々には、これだけの証拠が必要です」、となる。「わたしは利子率が二分では満足できない」。同朋を「contradiction」と責める必要はない。「antinomy二律背反ではないか?」と問えば十分である。二律背反が発生していれば、何らかの方法で解消しなくてはならない。

 

(a)臣民は同じ類であるから対等である

(b)下の者は上の者に従わなくてはならない。

(a)(b)を二律背反と考える事は可能である。上と下とは役割であり、二律背反ではない、とすることは可能である。(b)を、(b')下の役割を得ている者は、上の役割を得ている者に従わなくてはならない、と書き換えてもよい。解釈として定まっている、でもよい。類は肯定、否定の前に定まっている(ヘンペルのカラス?)。

 

BritainをGreat Britainにしたのはフランシス・ベーコンだった。ベーコンが述べているのは、属性:intellectual知性というか、「nous知覚」という現象の性格である。確かに、自らの知覚を逐一、自ら占有訴訟にかけるのは徒労である。「self-confidence自信」と呼ばれる幽霊、無を認め合うのも不正である。

 

フランス革命後起きたのは、ブルジョワジーの自己弁護と、証拠のaspect様相のconvertion(ーtransformation)変換である。騎士文学は終わり、ミステリー小説が華開く。ジョン・メイナード・ケインズのanimal spiritとは、animaな/のspiritusである。inspireの主語にholyは付かない。

 

「だれが書いたのか」

「本当に著者名の通りの人物が書いたのか」

「だれかかの手で改作されていないか」

「文章に解釈の余地はないか」。

ジャン・カルヴァンの神学は(二重)予定説が中心に据えられている、とされている、だれかから(スイス民法典?)。フランス貴族階級に流行したジャンセニスムにはカルヴァンの神学の影響がある、としている、だれかが 。フランスのブレーズ・パスカルジャンセニスムを擁護した。キリスト教徒:ブレーズ・パスカルは哲学者、実存主義者ではない。ジャンセニスムのその後の展開については述べない。

 

物を捉える事と、物事を定める事では、大いに異なる。差はgreat「大」である。イエズス会が急速に拡大したのは確かである。願望と行為、計画と実践には隔たりがある。実践は行為の部分として現れる。

 

国家主義と、individual個人の意識が到来しつつある時代だった。ドイツ語、英語、フランス語が独自の地位を獲得しようとした時代である。カルヴァン神学は、イングランドに移入され、ピューリタンを生み、諸々は次第次第に捩じれていく。

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