マタイによる福音書 (5:47)兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

マタイによる福音書
(5:47)兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
(5:48)それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

 

……そして全体のいでたちは、フィレンツェのある閨秀即興詩人ベネヴィヌータにあれほどの讃辞を吐かせたこと――「ピエール・ボンボンは楽園の鳥であるか、完璧さの楽園そのものであるか、どちらとも断定しにくい。こうした細部ひとつひとつについて、その気さえあればいくらでもくわしく述べることができる――けれども、ここではさしひかえよう。外貌の詳細などは歴史小説家にまかせておけばいい。――そんなものは客観的事実の道義的権威にあたいしない。『ポオ小説全集1』「ボンボン」E・A・ポオ 永川怜二訳 東京創元社 1974年 141頁

 

太極図は宇宙の生成変化を表す、太極図は宇宙の生成変化を表し、示している。天帝は天の下の酷さに天子を取り換える。previous先へと先に行き着き、antecedents前件をとりこむ。中国の影響を受けた文化圏の歴史は、偉大なる中国の歴史のパロディとなる。「我らは(偉大なる)中国の属国ではない」は、反として、偉大なる中国のパロディを生む。中国を参照し模倣して、後に反発する。土台が異なる。しかし、偉大なる中国を基準に組み立てる。

 

序で、「中国の歴史」が、「偉大なる中国の歴史」のパロディとして現れる。中国は常に、偉大なる中国の真似の巧拙を競う。中国たる事は、偉大なる中国の真似をしている事である。偉大なる中国のパロディは中国ではない。だれもが偉大なる中国を希求しているし、集団として庇護を求めて近づく。

  

「これが偉大なる中国であろうか。いや、偉大なる中国ではない」。'invention'「発明」は起きた。'discover'「発見」は、意味がない。好ましいものは天の下に「発現」する。文人官僚であることは、「我此処に記す」「事は記したが如くなり」「すべてはこの様なり」「現に斯く成れり」のレポートを書くことである。

 

「どうして」の考えが、「理」の一言の短絡と、古典との対比で記される( * 『史記司馬遷)。「経験」と「熟達」が一致して留まる。実際、おおよそ、支配者が求めるものは、理論ではなく、農事暦と予兆による権勢の正当化である。

  

通じた歴史の中で、通じている歴史の中で、中国は(外部の民族を)排外していない。既に中国の外部に暮らしている民族を排外して、どうにもならない。異民族は中国の外に住む。野蛮には中国の素晴らしさが判らない。素晴らしい中国に、服属しないために、野蛮である。野蛮ではない事が、中国に引寄せられる要件である。中国に従う者は、野蛮ではない。中国に従わないならば、野蛮である。 

 

ヨハネによる福音書
(12:42)しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。
(12:43)彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。

 

マタイによる福音書
(20:27)あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
(20:28)それは人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

 

洗練された振舞いは、後代の宮廷作法、統治機構に引き継がれる。「わたしの満足」への追従が、「我々の必要」を生む。感性の洗練は、experitus熟練に依り宿る。experienceは、目に見え、確認が易しく、言い張ることに価値があるように変容した。騎士ー貴族は、生まれながらに義務を負い、義務を果たす、とされた。騎士の義務は、農民の義務より重いと意識されていた。つまり、義務には軽重があった。報酬は、間違いがなければ、主君から与えられる。報酬を与えないなら顔は消える。

 

environment環境は封建制に従う多数の主体により、十分条件必要十分条件として固定(確定)し、自明な前提にすべく競り上がる( * 『不在の騎士』イタロ・カルヴィーノ)。席次の譲り合いは、より高いresponsibility責任(reciprocity返報性)の譲り合いである。dignityは下にsquareを生じさせる。

 

社会が安定し、統治機構の財政的危難が差し迫っていないならば、統治機構は支出を増やす。ともすれば、危機に直面しても支出は増える。統治機構の、主要な目的は体制の維持である。天子は社会を保有する。統治機構が存在する目的は、社会の保善、補完、改良である。

 

統治(organization)structure機構には、支出を控える因が無い。自らの保有物を動かしただけである。手形紙幣は年期付きだった。年期は近代まで維持される。物価、景気を調整しなくてはならない。ただ一つの絶対的な現れとして大きく振り回し、循環させたい。棒給、事業費は嵩む。

 

ルカによる福音書
(18:32)人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ
(18:33)また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。

 

ヨハネによる福音書
(15:13)人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

例えば、「クヌギを知っている」「戦争を知っている」とは何か。見ていた/見ている状態、触れていた/触れている状態か。クヌギの伐採の熟達か。おおよそ、「実際に'production'「生産」の手順に関わったことがある」「その過程を弁ぜられる」に思える。ごった煮は制約に尽くし果てた料理である。recipe調理法の拒絶し、塩味にのみ気を配る( * 『石のスープ』『斧のスープ』)。

 

「わたしの成功は偶然です」と言えば、謙遜となる( * 「孫」)。「然り。あなたの成功は偶然です」と言えば、相手の顔は渋る。「然」は、自ずから在りてなく、偶偶である( * 空位)。脱落は有りうる。然もありなん( * 象形、指示、象形指示、会意)。

 

 

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