ヨハネによる福音書 (15:13)人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

ヨハネによる福音書
(12:42)しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。
(12:43)彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。

 

マタイによる福音書
(20:27)あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
(20:28)それは人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

 

分業ー社会階層は形成される。分業への誘因はある。誘因とは、強弱の論述なくしては無価値な概念である。神聖な王朝の神官、聖職者、科学者、ソビエト連邦の技術官僚の一部は腐敗した。技術官僚の全員が始めから腐敗していた、というのは大いなる誤りである。だれだって、昔は素直なこどもだった時期がある。安定した社会では、ヨーロッパ封建制に類する制度が発生する。むしろ封建制は、文化の形成を担う人間の一般性に対する特殊性を持つ個体の群による現象、とした方が適切である。特殊性の抑制、社会内の膠着、飽和は衆道、宦官の文化(ー選好)を発生させる。西ヨーロッパにおいて小規模、階層的な封建制が乱立する。

 

封建制における洗練された振舞いは、後代の宮廷作法、統治機構に引き継がれる。戴冠式で欠伸、放屁を堪えるとは、洗練された振舞いである。表明された、わたしの満足への迎合が、我々の必要を生む。こちらの服は「よく」、そちらの服は「よく」ないと服を選ぶのは、感性の洗練に依る。「何となく感じがよくない」が、後付けの理由で競り上がり、正当化される。感性の洗練は、experitus熟練に依り宿る。必要十分条件となるべく励むexperiences経験は、認められているとは限らない。「experience(s)体験」は、目に見えて確認が容易なように、騒々しく言い張ることに価値があるように変容したと言える。

 

騎士ー貴族は、武士ー武家は、生まれながらに義務を負い、義務を果たす。騎士には、騎士の義務は、農民の義務より重いと意識されていた。つまり、義務には軽重があった。報酬は、まず間違いがなければ、主君から与えられる。報酬を与えないなら顔は消える。配下の騎士または武士として、義務を果たさない者についても同様である。数月前に亡くなった彼には顔があり、幽霊には顔がある。復讐が起きる。平然と顔の無い化け物は退治される。environment環境は封建制に従う多数の主体により、必要条件、十分条件必要十分条件として固定し、自明な前提にすべく競り上がる。「不在の騎士」は同様に競り上がる。弟の息子が家に来た。自らが貧しく甥が憎らしくても甥にお年玉を返して渡す。

 

 道徳、更に論理、更に信仰に基づいた判断が混交する。論理は何かに価値を与えない。身分は強固に峻別される。晩餐、茶会での上座の譲り合い、誰がどの色の服を着るのか、始めに料理に手を付けるのは誰か、が問題となる。白々しい謙譲は、あらゆる文化において発生する。席次の譲り合いは、より高いresponsibility責任(ーreciprocity返報性)の譲り合いである。dignity権威は下にsquareを生じさせる。

 

社会が安定し、統治機構の財政的危難が差し迫っていないならば、統治機構は支出を増やす。ともすれば、危機に直面しても支出は増える。統治機構の、主要な目的は体制の維持である。統治機構は社会を保有する。統治機構の目的は、社会の保善、補完、改良である。ギー・ドゥボールが、「アジアの歴史はreligious宗教の歴史である」と一般化したのは、頷ける。理想的には、天帝の子、天子の支配する中国である。

 

統治(organization/)ーstructure機構には、本来支出を控える誘因が無いのは、明らかである。自らの保有物を動かしただけである。平民に広く行き渡るのは結構である。基礎的な消費財の専売が始まる。広く行き渡るには高い流動性が必要になる。中国においては、十二世紀には発行、流通した(手形ー)紙幣は年期付きだった。年期は近代まで維持される。物価、景気を調整しなくてはならない事業体なのだから健全である。流動性の高い状態で、財が一定の領域に留まる事は危険である。統治機構が歪んでいる。流動性を抑えて吹き溜まりを認めた方がよい。天子は与え、養う。天子は使い、全てを回すことが許されている。外来の民族の王朝ではこれが撓む。

 

棒給、事業費は嵩むほど良い。人員はいっそ過剰がよい。ただ一つの絶対的な主体の現れとして大きく振り回し、循環させたい。統治機構は重く、華美なほど良い。system体制の部分から、体制の全体が効率的か判断はできない。関係は神話により絶対的である。関係は絶対ではない。部分は既に属している。カトリック教会のcorpus団体の様に明瞭ではない。統治機構に関わる者は増えれば、増えるほどよい。下は上の浪費に威信と安定を見出す。朝貢貿易が成される。父なしの孤児は多い。養う属国は増える。

 

不安定なら、より上位の統治体制と関わりを持つ。統治体制ー機構(子)が、より偉大な統治体制ー機構(親)から、体制の権威を得られるなら、最良である。時に、吹き溜まり、既得権益の削除(ー切除)は安定性を高める。触れてはならない巨大な構造を作る。否である。目につく不可触、禁の囲いは避けねばならない。否である。上手く不可触、禁の囲いを利用したい。能力は漠然としている。危なっかしい。血統は覆せない。触れられない。上手く置けば便利である。自ら重い財物を持たない方がいい。流動性が高いほどいい。信用がほしい。基盤の上に発生する信用を、基盤に浸し込みたい。基盤として信用に成りたい。財は運搬、盗難、攻撃、破綻の危険(ー誘因)がある。とにかく、満遍なく行き渡る何かに保証されたい。生物の様に自足、自動性を備えて保証してほしい。無数のリヴァイアサンが生まれる。careful親切なスフィンクスかもしれない。財はサービスとして消費出来ればいい。漠然としていた能力は今や魅力的である。権威を与えて(定)量化させる。血統は軽くはない。いっそ、血統は切り離し、今持っている名と機構のみを接続したい。いっそ、名を複数持ちたい。複数の名で認められたい。記号と肉体を接続する面は、目立たず小さいほどよい。否である。こちらが行為しては人目につく。必要と思ったときには伸びた(/伸びている)影のように触れて来る生物の群れに育ってほしい。ある時点で発生させた何かに、構造が吊り下がる。上の方に重く、落下しない何かが出来て来る。同じ高さに、または、下に向けて触手が伸びる。統治機構が重いなら、隙間を創り分離する。階層が同一なら、母屋、納屋、離れで済んだ。屋敷の概念で一塊である。しかし何かは強く引寄せるが、決して距離を認めない何かである。統治機構は経過により、更に共食い、親食い、子食いで連なる。近親相姦は常道である。

 

体制には、最低限に時制を円環、カレンダー、時計、t、として図示する要請がある。ヘーゲルは時間を社会において必要な疎外とした。天下りは起き、独立行政法人が出来上がる。demonstration示威運動を認めない体制など有史に現れない。示威運動を認める誘因を体制は抱えている。非政府機関が認可される。重層的な循環論法は、連続している様にさえ見える。しかし、部分部分には節が見える。批判が緩衝を受ける。

 


ルカによる福音書
(18:32)人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ
(18:33)また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。

 

ヨハネによる福音書
(15:13)人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

'It's the economy, stupid' 'It's the Everything,stupid' 'by faith alone'
「肉の甘さが感じる」。「肉の甘さを感じる」。「肉の甘さは感じる」。

 

つまり、知覚のreportレポートである。知覚の確認ではない。人はどうして自分が疲れていると知るのか。過労死は起きる。疲れ、痛みは「感じる」、らしい。未開人の味覚表現では「甘」の意味を含む言葉には、「旨」「良」の意味が含まれる。漢字の「甘」もまた同様である。「クヌギ材の座卓」。「クヌギ」を知っている、戦争を知っているとは何か。見ていた/見ている、触れていた/触れている状態か、クヌギを伐採しなければならないのか(production生産(productivity生産性)?)。

 

ナチスドイツのアイントプフ運動は有名である。フランスではポトフだろう。日本では味噌味の汁となる。naming命名行為の問題である。ごった煮とは、限りを尽くす、制約に尽くし果てた料理である。妙はrecipe調理法という概念の拒絶にある。塩味に気を配ればよい。至極面倒な火加減の心配はない。鍋を洗う必要がなく行きがけに新たな材料を追加する。ポルトガルには石のスープ、東ヨーロッパには斧のスープの民話がある。イタリアでは、水のスープだろう。東ヨーロッパに比してイタリアは富んでいた。

 

共産主義国家」とは、嫌な言葉である。「日本国民統合」と同様である。密着させ、助詞を隠して誤魔化す意図がある。共産主義を用いる国家ならば、毛沢東の国家である。共産主義の国家ならば、いつの日か、世界の全てを国家にintegrate統合するため、世界征服に乗りだすだろう。symbol象徴とは、何に似るのか。政府は支配のための手段-機関なのか。子ー政府が実質的な支配者で、親ー天皇を食い、内に取り込んだのか。天皇は虜囚なのか。天皇は機関なのか。「天皇の腹痛で天災が起きる」、という意味とは思い難い。

 

「何故、あの時ぼくに賛成しなかったんだ。あなたが嫌いだ。あなたの時に、ぼくも賛成しない」。明に暗に、世の中はこの痴愚の論法で回されると知らない者は世間知らずである。忙しい人は自らの直近の生活に関わらないと判断したとき、必ず思考を節約する。渇きを満たす焦燥感、必要を再現しないためである。「パパの顔、触りたくない」は拒絶である。拒絶の願望である。「パパの顔、触りたい」は不気味である。「わたしの成功は偶然です」と言えば、謙遜の表明となる(漢字では「孫」となる)。「然り。あなたの成功は偶然です」と言えば、相手の顔は渋る。世の中はままならない。fortune偶然(/幸運/財産)は、probabirity確率ではない。「然」は、自ずから在りてなく、偶偶である。否である。脱落は有りうる。然もありなん。古く中国で零の位、位の零は空白だった。contingency偶有性は、(conscios良心ー)consciousness意識における比較不能な選択肢の両立の対象化である。漢字は体系が容易に組める。諸子百家とは、既に成立している国が中国となる方法(論)の現象、現象の方法であり、各々が各々の体系を持ち歩き実践した。

f:id:cunsong9403:20181122182506j:plain