マタイによる福音書 (12:35)善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。

マタイによる福音書
(3:10)斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
(12:35)善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。

 

創世記
(4:1)人はその妻、エバを知った。彼女は身ごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によってひとりの人を得た」。
(4:2)彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕すものとなった。
(4:3)日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
(4:4)アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
(4:5)しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
(4:6)そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
(4:7)正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
……
(4:13)カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
(4:14)あなたはきょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見つける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
(4:15)主はカインに言われた。「いや、そうではない。だれでもカインを殺すものは七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付けるものが、誰も彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。


 
こうした責め苦に押しひしがれ、わたしの心に残っていたわずかな善心も崩れ去ってしまった。邪悪な考えが――世にも暗く凶悪な考えが、わたしの唯一の心の伴侶となった。日ごろの気むずかしさはつのり、あらゆるものへの、あらゆる人間への憎悪に変わった。そして今や盲目的に身を委ねるようになった突発的な、頻発する抑えようもないわたしの激怒の発作に誰よりもしばしば悩み、誰よりも忍耐強く堪えてくれた被害者は、ああ、わたしの不平一つこぼさぬ妻だった。『ポオ小説全集4』「黒猫」E・A・ポオ 河野一郎訳 東京創元社 2004年 69頁

 

大航海時代のスペイン、カトリック教徒とプロテスタントとの争いの中、世界初の株式会社と呼び得る、オランダ東インド会社が発足した。ユダヤ人、プロテスタントカトリックは入り混じり、都市アムステルダムの人口、経済規模の拡張は加速する。彼らは、既に融解し不定に見えるヨーロッパの都市に暮らしている。地盤が融解しつつある。国庫は出来て久しく、国家と王権の正当性の解釈は様々である。カール五世、フェリペ二世が駆けずるヨーロッパである。アメリカ大陸から大量の銀が流入する。バンカロータは繰り返される。

 

終末は直ぐに来る。「国家(ーcorpus団体)は永久である。(終末まで滅ばない)」の幻想がキリスト教信仰と絡み合う。株式会社とは、剰余分配の周期設定の任意性/任意な剰余分配の周期設定である。tempus時制を任意化する。責任の有限性はアレンジメントである。回転率を高めつつ、出来れば売り逃げたい。団体の内部の維持の誘因がない。ともすれば、爆発する。「齢を重ねた、公債暮らし、悪くないだろう」。「by faith alone信仰/信頼のみ」である。

 

間隙と外の存在を認めない言語の体系は破綻する。破綻しないために、「自動機械として成立している」世界が描かれるだろう。王権は血筋の神秘と結び付く。イングランドの王は自然的身体と政治的身体を持つ。古代ギリシアの一般的な、素朴な讃辞としてのコスモスと混ざりつつ、プラトン主義的な超絶と宇宙のコスモスが流用される。ミクロコスモス、つまり、「ぼくらは超絶的だなぁ」が一般化する。ミクロコスモス、マクロコスモスの合致が目指される。スピノザの汎神論、孤独なドイツ人、ライプニッツモナドが表れる。commitmentはinsertの言い換えの結果である、という次第に至る。
 
自由七科の優劣の放棄である。神の人格性の排除への誘因が強まる。農民は地面に銭を埋めて隠す習性がある。困った事に、スコッチエッグガレット・デ・ロワのフェーヴ、クリスマスプレゼントの様に互いに喜ぶ何かを隠さない。隠すという行為には疚しさが伴っている。「那辺にありや」。那辺にあるのだろう。大英帝国とは、「疑いの余地のない国」である。壁の中に埋めた妻と猫の遺体である。三権は分立し、大学から意見を聞く。ドイツ法と商法の沿革、戦後の会社法については述べない。「商法は技術的規定が多い」は卑怯である。株式会社、株式なる何かは神秘である。

 

明治以前の日本の相続は長子とは限らず、次男にするという風俗など地域により多様だった。明確な財産の帰属から、余剰と階層から成り立つ社会を「名」で支持しなければならない。succession継承が優位に働いていてこそ、長子相続が現れる。武家の社会には合致する。江戸後期の武家の悲惨は有名である。農村では堕胎、嬰児殺しが常態となる。人口は飽和し余剰な労働力が詰め込まれている。

 

父権制は根本的に有閑階級、余剰を蓄積し社会として保証し合いたい場合に生じ易い制度である。射程の広い表現には歴史的な理解が不可欠である。閉鎖的な環境で、隣家の家産を狙うのは難しい。逃亡が破滅に繋がらないか否かで大きく異なる。先に階層を置かねばならない。未開な社会では、土地の価格は算定されない。算定しては土台が流動化する。財物は中々流通に上らない。穀物は情緒、神話、身分の表れとなった。燃えて潰した江戸の長屋は不動産ではない。幕府は儲け過ぎた商人を踏み潰す。

 

社会の中で、記憶、記録、「蓄積」とは共有する何かであり、合有される何かである。ギリシア人は、ギリシアの地を征服したことを忘れた。古代ギリシアの羊飼い、イオニアのへロストラトスの放火である。通例、memory記憶、sophia叡智、experience経験、knowlege知識、wisdom知恵、information情報、science(科)学(/知)、と翻訳される。とても厄介である。集団を含む何者かが蓄積するはずである。フランシス・ベーコンは原義と慣用を知っていただろう。(独)Speicher記憶/穀倉/屋根裏などから伺える。英語では(羅)experitusの熟達の意味は隠れた。 

f:id:cunsong9403:20180802152844j:plain