紹介(4)『ワット』 サミュエル・ベケット 

  ……そこでマガショーン氏はオメルドン氏のほうに向き直ったのに、オメルドン氏は期待に反してマガショーン氏を見つめておらなんだ(期待ちゅうたわけはじゃ、マガショーン氏は、自分がオメルドン氏を見つめようと向き直ったときにオメルドン氏が自分を見つめとるんじゃないかともし期待しとらなかったら、きっとオメルドン氏を見つめようと向き直りはしなかったじゃろう、それよりも首を前に出すか、後ろへ引くかして、マックスターン氏かデ・ベイカー氏を見つめとったじゃろう。まあマックスターン氏のほうじゃろうな、デ・ベイカー氏を見つめたのは最近じゃったから)、オメルドン氏はマックスターン氏が自分を見つめとるんじゃないかと思ってそちらを見とったんじゃ。してこりゃまことに自然なことじゃった。なぜかてオメルドン氏がマックスターン氏を見つめたのはオメルドン氏がほかのだれを見つめたのよりも以前のことじゃったからな、それにマックスターン氏がオメルドン氏を見つめたのはマックスターン氏がほかのだれを見つめたのよりも最近のことじゃとはオメルドン氏としては知るよしもなかった、じゃが実はマックスターン氏はたったいまオメルドン氏を見つめるのをやめたばかりじゃった、そうじゃろう? そこでオメルドン氏の期待に反してマックスターン氏はオメルドン氏を見つめとらずに、デ・ベイカー氏が自分を見つめとるんじゃないかと思ってそちらを見つめとった。…… 『ワット』 サミュエル・ベケット 高橋康成訳 白水社 2001年 210頁

  

(242)われわれはその都度、「わたしは断固としてこれを信じる」と言わなくてもよいのか。

(244)誰かが「わたしには身体がある」と言うならば、われわれはこう問い返してよい。「その口で話しているのはいったい誰なのだ。」

(249)ひとは疑いについて誤った像を描く。 

(383)「わたしは夢を見ているのかもしれない」という議論はつぎの理由によって無意味である。もし夢みているとすればこの言葉もまた夢中のことであり、これらの言葉に意味があるという、そのことも同様である。『ウィトゲンシュタイン全集9』「確実性の問題」ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン 黒田亘訳 大修館書店 1975年

    

古代末期の美術のなかに、我々はしばしば、個体を超越した理念や一般概念を擬人化した形象に後光が付与されているの目にすることがある。この特殊な区別の徴は、当の形象が一つの永続体を、すなわち時間と消滅の偶然性を越えた恒久的で永久なるものをそのあらゆる様態において表現すべく意図されたものであることを示している。エジプト、ガリア、ヒスパニアその他のローマ属州は、しばしば後光を伴なって、―たとえば古代末期の<威厳あるものの記録>(Notitia dignitatum)におけるように―表現されていた。このような場合、これら後光を帯びた女性像を、我々は「抽象態」や「擬人態」と呼ぶのが常である。これはそのかぎりでは正しいやり方である。しかし、我々が自覚すべきことは、あらゆる抽象態や擬人態の最も意味深い特徴は、その超時間的な性格、あるいは時間の内部におけるその永続性である。事実、後光によって顕著に示されているのは、擬人態というよりも個々の属州の<守護神(genius)>、つまり永遠の創造力、生産力なのである―<genius>は<giganere>(産む)に由来する。<永遠のローマ>(Roma aeterna)とか<永遠のフランス>(La France eternelle)といった標語に今日の我々が結びつけようとする観念の多くが、まさに<エジプト>や<ガリア>や<ヒスパニア>が後光で飾られていたときに表現されていたのであった。同じことは概念や徳についてもあてはまる。異教古代の女神であった<正義(Iustitia)>や<思慮(Prudentia)>は、キリスト教美術において後光をもって描かれると、永久に効力をもった力や永遠に妥当する存在形態を表現するものとされた。換言すれば、我々が一つの概念を大文字で書くとき、あるいは英語で性を中性から女性を変えるときでさえ、事実上当の言葉や概念に「後光を付与している」のであり、理念や力としてそれが有する永遠性を指し示しているのである。『王の二つの身体 中世政治神学研究』 エルンスト・H・カントローヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年  103頁

 

カインは犯行を隠した。カインは主に対して、隠す必要を覚えた。ここでは「知りません」は、「関知する」「与り知る」である。「主に対して隠す」の問題化ではない。「(既知の過程からの)再現」の「知る」ではない。アダムとエバはおらず、アベルを殺したカインはいる。

 

成り立ちの一説として、「名」は暗い夕暮れ時に道で会い自分の名を告げるから「名」である。また一説には、「名」は「夕」が肉、「口」が器で祭儀を表すから「名」である。明治初期、日本各地で正午を告げる午砲が導入される。日清戦争日露戦争の勝利後、日本各地で銅像が設置される。1934年、各所から寄付を募り、東京大学農学部教授の飼い犬、忠犬ハチ公像が立てられた。原型となるハチが生存中に、ハチの前で公開され多重形象が生じていた。

 

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