紹介(9) 『燃えつきた地図』 安部公房 

今まで述べてきたようなさまざまな区別、反立、類比、適合の諸形態は、何度も繰り返されることによって、世俗国家とその「神秘」の新しい聖性を創出することに寄与したのであり、それゆえ、単に法的職業を神聖視することや、法学を神学と同等の地位に置くこと、あるいは法的手続を教会の祭式になぞらえるといった試みをはるかに超えて、重要な意味をもつものであった。法律学の職業上の誇りが重要な役割を演じていたことは確かである。既にアックルシウスは、「法学者や法律家になろうと欲するものは誰でも、神学を学ぶ必要があるか」と自問し、きっぱりと「否と私は答える。なぜならば、すべてのことが法典の中に見いだされるからである」と答えていた。バルドゥスも、法学の博士たることは高位の顕職に数えられるべきかという問いを提出し、「なぜそうであってはならないことがあろうか。彼らは聖職者としての任務を果たしているがゆえに」と答え、みずからボローニャ大学の法学教授であった彼は同様に、「法学教授は聖職者と呼ばれていることを知るべきである」ときわめて率直に述べていた。また言うまでもなく、法学の教授たちは「伯」と呼ばれることを望んでいた。というのも、<或るものを別のものと対等とみなす>(quid pro quo)法学上の「対置法」は、人間の社層の形成に関して実際上の成果を収めていたからである。すなわち一三世紀の終わり頃になると法律家たちは、誤って解釈されたユスティニアヌス法典のいくつかの箇所を根拠として、彼らが正当な権利として要求してきた準騎士とも言える身分を現実に獲得していた。これ以降、博士への昇進と騎士身分の授与は、社会的に同等な地位の授与を意味するがゆえに、対等的なものと見なされたのである。今や、顕職の新たな体系は、聖職者の<天上の騎士団>(milita coelesis)および貴族の<武装騎士団>(milita aramata)と並んで、いわゆる<法の騎士団>(milita legem)ないし<学識の騎士団>(milita literata)が加わることになり、バルドゥスは後者をしばしば<博士の騎士団>(milita doctoralis)と呼んでいる。しかし言うまでもなく、法律家たちに聖職者たる性格を付与する擬制については、これと比較しうるような事態はまったく生じなかった。法律家たちは自らを「法の騎士」とする要求を現実のものにしたわけであるが、これと同じ仕方で「法の聖職者」への要求を実現すべく試みることさえなかった。法律家は聖職者であるという言明のすべては、神学と法学の長きにわたる戦いを反映しているのである。この戦いは、世俗精神の事実上の勝利でもって終結した。しかし、法律家の聖職てき性格をめぐる言明は、唯一つの点において聖職身分に関する現実の問題と密接な関係を有している。すなわち、支配者の聖職的な性格に関する問題である。『王の二つの身体 中世政治神学研究』 エルンスト・H・カントローヴィチ 小林公訳 平凡社 1992年  141頁

 

実力で争わざるをえない状況が生じたとき、宿命ということを模倣して、コイントスで決めたい、争いを縮約するような特定の遊びで代替したいという考えは、双方の不利益ではない。現在の理念は祭儀に反映されて行き渡る。伝承は集団の自己理解を、集団に対峙する者との折衝の都度に示す。古代ギリシア人は、複数のポリスを形成していた。ヘレネスとして、多数のポリスに分かれていた。おおよそ、ヘレネスの男性に比して、女性は理性が欠けている、とされた。

 

転生とは、つまり、ソクラテスによる証言「わたしはソクラテスである」の転換、「ソクラテスソクラテスである」対する、ソクラテスによる証言「ソクラテスソクラテスではない」への(ⅰ)ソクラテスソクラテスとは限らない(ⅱ)ソクラテスソクラテス性を有する(ⅲ)ソクラテスはよりソクラテスである(→ソクラテスはよりソクラティックである)のなど意味づけである。

 

儀式の型は往々にして時々の成員の関心に左右される。ホメーロスは『オデュッセイア』において、怪物キュクロプスを妻子を持つ、として描いた。ポリュペーモス、「名の知れた」は、不死身ではなく言葉を用いて羊を飼い、世代・代襲の規範に従う。狡知に長けたオデュッセウスは、「だれでもない」を名乗り、ポリュペーモスから逃れる。

 

系譜は成員に平らかを知らせる。ギリシア人がギリシア人を奴隷にするのは好ましくない。奴隷と主人の間には緊張がある。奴隷はギリシア語を解し、奴隷仲間と会話する。牛馬の主人のように振る舞いうる。奴隷同士で団結し、結託してしまう。奴隷の発言は証言として無価値でも、予兆のような認知と処理で、主人の不正は暴露に遭う。

 

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https://www.metmuseum.org/
Period:Third Intermediate Period
Dynasty:Dynasty 21
Date:ca. 1070–1000 B.C.
Geography:From Egypt, Upper Egypt, Thebes, Deir el-Bahri, Tomb of Meritamun (TT 358, MMA 65); burial of Nany, Mummy of Nany, MMA excavations, 1928–29
Medium:Faience
Dimensions:H. 9.7 × W. 12.5 × Th. 1.1 cm (3 13/16 × 4 15/16 × 7/16 in.)
Credit Line:Rogers Fund, 1930
Accession Number:30.3.34